正直、政治的思想も教養もないのだ。
でもさ、
アニメ好きのオタクならわかるだろーけど、
ふと、「世界ってしょーもねーな」
「なんで戦争ってあんのかね」
「人間てなぁ。」
「なんで世界ってこーなんだろうね」
って、中二病ぎみに、でもわりと真剣に、
思ったりすることがあって。
でも、考えてもわかんない。
そもそも教養、知識がない。
思想も哲学もない。
だって少なくとも私たちの世代の教育は、
「自分の意見を言う」ってことより、
人の気持ちを考えて行動する。人に優しくする。
っていう情操教育な時間割で育ってきたから。
そういう意味では空気を読めるし、
勝手な行動もしないし、上っ面でも協調性があるし、
優しさってやっぱ大事だし。
でもさ、
不協和音じゃないけども、
『僕はこう思う』ってことをはっきり言える姿はやっぱかっけんすよ。
わたしにとって、西部先生はそーゆー風に、
わりとロックに映っていて、
今なら炎上して叩かれてしまうようなことを、
はっきりと主張していた。
民衆はあほだ。とか。
でも、炎上とかさほどしてないのは、
裏打ちされた深い智性と、理性があって、
誰かを傷つけるつもりがない、主張だったからだ。
あほがダメっていってんじゃない。
あほだって事実を受け止める必要がある。
っていう。
でも日本て国は歴史上、なかなか胸をはれないことがあって、「思想」って言葉に神経過敏だな、と思う。
一部の金持ちとインテリだけがそれを持っていればいい、みたいな。
そんで学校なんかでは、哲学すらも、
危険物みたいに慎重に取り扱われて。
ニーチェ?そらすごいけど。
日本にも、歴史上哲学者って、いたんだけどね?
思想=危険なもの、反省しなきゃいけないもの、
みたいな概念、まだあるんじゃないかって気がする。
たしかに、そういうのもある。
でも、「主張」する為の自分の「意見」を、
考える力を、
持っていないのだって、危険だ。
もしさ、子供たちが「なんで投票にいかなきゃいけないの?」って聞いてきた時に、
今の大人はなんて答えるんだろう。
西部先生は行かなくたっていいよ。と言えてしまう人。
それを言ったらおしまいなんだけど、(笑)
言えちゃう人だった。
色々と、生きてりゃうまくいかないことがあって、
理不尽なことがあって、それが会社とか満員電車とか、制度とか社会とかだったり、する時に。
ただ生活している上での理不尽、交通とか子育てとか医療とか就職率とか。
そういうすごく身近なものが、
どうしてそーなってるのかって、そういうことを、
考えた時に、
西部先生の話は、とても、分かりやすかった。
本当に頭のいい人は、わたしのよーな馬鹿にもわかるように、説明できるんだなぁと感心した。
政治的思想なんて大層なものじゃなくて、
社会に対する知識。
だからって、何も変わらないんだけど。
でも、
わけのわからない理不尽に、振り回されるくらいなら、
わけのわかっている理不尽に、納得して振り回されるほうが、わたしにはあっているな、と思う。
それだけでまぁ、ちょっとは、
身近な理不尽を、つまりイライラを、
受け入れたり回避したり、できると思うんだ。
保守、なんてついてるけど、
最後までロックな人だったと思う。
これが、思想の終わり、なんてならないと、いいなと、
静かに願うばかりです。
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