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2017年08月24日01:10

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妻への批判は失当

■残業が月188時間 幼子2人を残し、夫は命を絶った
(朝日新聞デジタル - 08月23日 16:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4730069





仮に当該記事が事実だと仮定すると、当該記事から読み取れる確定事項は、

・2015年12月に34歳男性が自殺した
・男性は臨床検査技師
・自殺直前の半年間で時間外労働が100時間を超えた月が4回
・時間外労働の最大時間は月188時間
・被害者遺族による損害賠償請求訴訟の訴訟物価額は約1億2566万円

である。


そして、コメントの中で自殺した男性の妻(以下、「妻」という。)に対する批判が思ったより多くみられる。

具体的内容として、「妻が夫を見殺しにした」、「夫が自殺する前に気付かなかったのか」、「何故自殺を防げなかったのか」、「自身の責任を棚上げし会社の責任に転化している」、「金の亡者」等がある。

私は上記批判はいずれも失当または妥当ではないと考える。

何故なら、当該事件は会社が責任を問われて然るべきものであるからだ。

確かに、一見すると妻にも何かしらの責任があるように思える。

しかし、それは誤りであるし、仮にあったとしても道徳的責任であり法的責任ではない。

従って、まず確実に批判され責任を問われるべきは会社である。


では、具体的に会社はどのような責任があるのだろうか。

まず、労働基準法による労働時間および時間外労働ならびに労使協定についての責任と民法上の管理(使用者)責任を問われて然るべきである。

時間外労働は労使協定締結によって免罰効果を得るが、罰を受けないというだけで、そもそも時間外労働自体は違法行為であるというのが労働基準法の位置づけである。

従って、本来時間外労働は「やらせては(やっては)いけないこと」であり、仮に労使協定を締結したとしても、「できる限りやらせない(やらない)ようにするべきもの」である。

ましてや、労使協定を締結したからといって「無制限にやらせて(やって)いいもの」ではない。

また、労災認定がなされているということは、本件における自殺の原因が過剰労働にあり、両者の間に因果関係が認められるということであるから、これはすなわち労働災害であるということだ。

労働災害ということは、会社に法的責任が存在する確率が高いということである。

とすれば、会社は労働災害を防止する義務を負う者であるから、それによって発生した損害は賠償する責任を負う。

よって、これらが会社の具体的責任である。


また、妻に道徳責任があると仮定しても、道徳的責任は強制するべきものではなく、同じ責任でも法的責任とは区別されて然るべきだ。

ましてや、妻の法的責任など存在しない。



ここで、先述した妻を批判する具体的意見について反論しておく。


「妻が夫を見殺しにした」は当該記事からは断定できないし推測できる根拠もない。
他人の心情は余程の証拠が求められる裁判ですら「認定」にとどまるのに、記事1つで他人が断定することなど不可能だと思う。
それほど人間の心の中は証明が難しいと考える。

「夫が自殺する前に気付かなかったのか」、「何故自殺を防げなかったのか」は結果論であり、それができるなら苦労はない。

「自身の責任を棚上げし会社の責任に転化している」は妻の責任はあったとしても道徳的責任、会社の責任は法的責任であるから、責任の種類が異なる。
それは責任転嫁とは言えない。
むしろ、私は妻に批判されるほどの責任は存在しないと考えるから、そもそも責任転嫁が成立しないと思う。

「金の亡者」はこれをそうとは言わない。
本来、失った命や時間を戻すことが出来れば1番だが、それが不可能であることは自明のこと。
それができないからこそ、法律は代わりに金銭賠償を認めている。
従って、妻(遺族)が損害賠償請求訴訟を提起することは何らおかしくはないし、「金の亡者」ではない。
むしろ、正当な法律行為である。


このようなことから、妻に対する批判は失当または妥当ではないと言える。
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