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2015年07月17日02:58

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バケモノの子

バケモノの子を見た。
よくできていると思ったし、ある程度感動できる要素もある。
一言で言うと、「子供を持つ親が安心して子供と一緒に見られる、大人向け児童文学」という感じだった。
ターゲットは子供を持つ30代以降の親世代、って感じがした。
話の概要としては、母親を交通事故で失った少年が父親にも会えずふてくされて一人で生きる決意をし、たまたま渋谷で会ったバケモノについて行ったらバケモノの世界に行っちゃって、そのバケモノを師匠として弟子になって武道を学び、大人になって人間の世界に戻って図書館で本にはまり女の子に出会い、最後は暴走した人間と戦って勝つ、という話。

たしかに上の世代には人気があると思う。
価値観とかメッセージが本当に一昔前の親世代のものだったから。
面白かったのは、バケモノは、独りよがりで孤独で周りに誰もいないが、弟子を作らないといけない設定で、そんなバケモノに孤独な主人公は少し共感し、師匠の弟子入りをするが、ひねくれもの同士ドタバタが起き、それがホモソーシャルっぽくてよかった。
ギャグセンスは幼稚園生がゲラゲラ笑う程度だが。
唯一時代性を反映できてると思ったのは、異性愛から同性愛、恋愛から友情という、時代の逆らえない流れには忠実だったこと。
物語の後半になり、文学系女子と出逢うシーンがあって、ああお決まりの恋愛モノですか、と思ったら、ラスボスとの戦いに足手まといになったりして邪魔キャラになる。
主人公もラスボスも美男子で、そういう意味ではここもホモ系の展開なのだが、女子は完全に置き去りというか、意図的に邪魔なものとして描いているのが今風だなと評価できた。

…というところで正直感想を終えたい気もする。
エンドロール見ると関係者だらけだったから、ここでディスったら会社人生に影響するし。
でも、イチユーザとして、ちゃんと金払って見たんだし、感じたことは正直に伝えないと人間としてウソになると思うので、覚悟して書く。

この映画は、子供を持つ親世代が安心したいためだけの精神安定剤みたいな映画であって、決して現代で今起こっている問題と向き合うものではなかった。
だから、若者は見るに堪えないものとなっていると思う。
少なくとも自分はちょっと見てるのがしんどかった。

まず、バケモノと人間は別々の世界に暮らしていて、それは人間の心が闇を抱えて暴走するとバケモノに甚大な被害を及ぼすからという設定だが、この人間の心の闇問題って、もう90年代の宮崎勤とかサカキバラとかオウムの頃の古い想像力の時代のものじゃないですか。。。
今は仮面ライダー電王的な多重人格的なものを肯定する時代なのに、人間が光と闇という2つの部分しかなく、闇を抱えたら即暴走という乏しい想像力の話にしてるのがつらかった。

バケモノと主人公のシーンで、師匠の武道を習得するために、師匠に学ぼうと思うが、師匠が説明下手なため師匠との共同生活を通じ一挙手一投足全てを真似することで徐々に師匠の仕草や癖、息遣いやリズムを体で覚え、結果的に学べるというシーン。
これは内田樹の『先生はえらい』という本の中で書かれてるので、既視感があった。
要は、技術を習得するのには時間がかかるわけで、こうやればできる、というマニュアル世代批判というか石の上にも3年的な説教厨っぽい匂いがした。
それでも物語前半のホモ的イチャイチャな師弟関係のノリは悪くなかったし、そこそこ楽しめた。
だが、後半になると、急に展開がおかしくなる。
一番笑えたのは、武道をマスターして人間世界に戻った主人公の行動。
いきなり図書館でメルヴィルの『白鯨』読みだした!
そして文学系女子に読めない漢字聞いて、その文学系女子がなぜか図書館にいるヤンキー学生たちのケータイ着信音にウルセーと突っ込み、絡まれてるところをフルボッコして助けるのだ。
おい、ついさっきまでバケモノ界ではヤンキー上がりの武道家キャラだった主人公が、人間界では急にイマドキ図書館なんつー童貞臭満載な場所で繊細かつ肥大な自意識を抱えた文学青年気取りですか。
すげー、文学青年なら誰もが一度は妄想する中二病全開の話を正面切ってやってるよ。
これ、おかしいよねってトーンでやる(自覚的だ)から笑えるんだけど、マジでやられると、ちょっと待て、という感じ。
マジな設定らしいからマジでツッコむと、ヤンキー上がりの武道家青年が図書館でメルヴィル読んだりはしない。いたとしてもクラスター分類できないほどの出現率だ。
で、そんな図書館にケータイ鳴らして駄弁ってるヤンキーもいない。奴らはファミレスあたりにいる。
ここでわかるのは、人間界において正しい奴=図書館にいる文学青年つまり紙媒体の本を読む奴で、悪い奴=ケータイ持ってる奴という、これまた10年前くらいの紋切型人間像にとどまっている。
イマドキ優秀な奴はスマホのGoogle先生に学ぶ奴だから。
もっとおかしかったのは、主人公が最終的に勉強にはまり大学を目指すという人生の目標を抱えるところ。
メルヴィル読めるんだからそこそこ文字情報処理耐性はあるのはわかったし、こいつが頭いい優等生キャラに見せたいのはわかったけど、それやっぱバカに見えるから。
2015年現在で頭良い奴は何度も言うけどスマホでGoogle先生従えて、大学なんて行かないで自分で勉強して、仕事したかったら起業するか勝手に働いてる奴だから。
紙媒体の本読んで大学目指してる奴は情弱の極みだから。
本当なら、主人公が人間界に戻ってまずすべきことは図書館に行くことではなく、ネットのすごさに驚きスマホをいじりGoogle先生に学び、IT系企業を立ち上げる、というのがリアリティある主人公の姿なのだ。
ということを、若者なら誰でも感じるが、子供を持つ親からするとそんな子供は心配、というインサイトがあるのだろう、いまだに紙の本、大学で勉強、が安全だと思いたい、だからそれを描く、というロジックだと思う。
多分細田監督は全部わかっててあえてそういう一昔前の価値観の映画を撮っている。
自覚的というか確信犯的というかウソをついているというか。
それがマーケットにおいて未だにマスであり、スマホで自由自在に世界を渡り歩いて生きる主人公は悪と思う人が大多数なのだという諦めを感じた。
ちなみになんで主人公はメルヴィルの『白鯨』読んでるかというと、白鯨という小説を超絶ざっくり言うと「恨みや復讐心持った奴が死ぬ話」で、この映画も恨みを持ったりや復讐をしてはいけませんよ、という道徳的教えがオチとして来る話だから、オマージュになっている、という誰でもわかる解説でした。
その教えはもう魔法少女まどか☆マギカで散々やってるからこれも既視感が。

まとめると、バケモノの子は親世代が好きそうなネタやトーンが多く、心の闇、石の上にも3年的な技術論(技術は師匠と弟子の関係から時間をかけて学ぶ)、ネットより本、恋愛などが描かれているが、現代の若者は、心の闇などFacebookでいいねを押されれば承認欲求満たされますが何か?だし、情報は紙媒体の本ではなくGoogle先生に学ぶし、だから3年もかからず3か月で技術は学べるし、恋愛より同性友達とワイワイやってる方が楽しい(これは劇中でもそうだったか)という価値観なので、親のオナニー映画には構ってられないという感想。
でも映像美や物語の力としては良くできているし感動できるから、かなり売れるとは思いますし、否定する気は全くありません。はい。

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