mixiユーザー(id:11566608)

2016年07月28日23:39

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何が実存を消しているのか。

相模原事件は「二重の殺人」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4115946

今回の事件、もちろん特異に特化していますが、自分、皆さんの指摘以外に非常に気になることがあります。

報道等で被害者の顔がまったく見えないことです。

名前がまず公表されない。親族の泣き叫ぶ映像もでない。近所の人からの被害者の生前の様子、お悔やみの言葉もでない。いつも必要最小限度だけでいいのに、と憤りながら見ているのですが、いざ、全くないとなると自分は戸惑いました。
もちろん公表しろといっているのではありません。今回の件、実際こうなってしまうでしょう。

加害者の人権ばかり尊重されて、被害者の人権がないがしろにされている、とは言われてかなり久しいですが、今回の徹底ぶりは人権尊重の精神からが動機づけなのか。

報道されまくっている事件の中心にぽっかり空いたブラックホールのよう。

社会に関わりが少なかった(なかった)人たちが、生命を消され、社会が動揺し、けれどそのまま無かったことにされているような、気味の悪さです。

実存を消しているのは、この社会ではないのか?

氏の言いたいことは分からないではないが、けれど、被害者たちがこの文章の理論展開の道具になっている。自分は実存を消しているように見える。
『ナチズムのような何らかの過激思想に感化され』とあります。非常に嵌りやすい展開ですが、違うでしょう。加害者が障害者施設で感覚からえた体験を、自ら思考しての(薬物で加速しての)陥った狂気です。ある意味、実存に真正面から真っ向否定という形で向き合っています。ネットで表面の情報をなぞって文字に落としている自分よりも向き合っています。

それが怖いのです。




『一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない。』の感覚に僅か19人で陥っているのが今の社会ではないのか。

「犯人死刑」&イイネ!とネット上に氾濫しています。当然、当たり前にそうなのですが、その軽さが加害者の命はもとより、被害者の命とも社会が等価としているように思えるのは考えすぎでしょうか。




もし、この文章を読んで不快に思われたならば、大変申し訳ございません。

被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。

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