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2017年11月15日03:37

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「日本、死ね」と「朝日新聞、死ね」の違い(駄犬メモ)

議員「朝日新聞、死ね」投稿
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4857824

「日本、死ね」というのは元々は匿名のブログから出てきたフレーズだ。

賛否はさておき、これは一般国民からの政府もしくは世の中への怒りのメッセージである。それ自体は別にどうでもいい。残念なことは、誰が書いたかもわからない出典不明のこのブログを国会で取り上げた阿呆議員がいたことだ。これは明らかに議員としての教養の欠如を物語っている。そうとはいえ、この阿呆議員は国民の味方のつもりでいるのだから、まだ救いがあるといえよう。

そう、下には下がいたのだ。日本維新の会の足立康史衆院議員である。Twitterで「朝日新聞、死ね」と述べたからだ。明らかに「日本、死ね」のモノマネのつもりだろうが、モノマネは大失敗している。

「日本、死ね」は一般国民、すなわち私人から政府あるいは世の中といった権力側への批判という構図になっている

しかし、「朝日新聞、死ね」は国会議員、すなわち権力側から、朝日新聞すなわち一企業にして私人に対する批判の構図となっているのだ。いや批判という言葉は適切ではない。中身が全くない罵倒だ。

賛否はさておき、「日本、死ね」というフレーズは少なくとも保育園不足問題を多くの人たちに考えさせるきっかけにはなった。それは生活者としてのナマの感情をぶつけた呪いともいうべき言葉であったからだ。だからこそ匿名の批判としてはあまりに強力な批判足り得た。

だが、「朝日新聞、死ね」には中身が全くない。自分とは真逆の意見、あるいは事実とは異なる内容を新聞が書いたなら、せめてその内容をきちんと挙げて、論理的に批判すればいいではないか。それなのに単に社説が気に食わないから「死ね」とはいかなることか?これは完全に感情論に基づく罵倒である。

政治家が感情のままに公然と私人を罵倒する。これはガソリン阿呆議員を遥かに凌駕する超弩級阿呆議員である。こういう者がもしも大臣職にでも就いたらと実にゾッとする。感情のままに権力を濫用しかねないからだ。

権力がその気になれば、人を社会的に抹殺する事も、逆に犯罪をもみ消すこともできる。そうなれば、法の下の平等の原則が崩れ去り、基本的人権の尊重など絵空事となる。

そんなことにならないように、政治家というものは個別特定の一般国民、私人に対しての発言については慎重でなければならない。そして抑制的であろうとしなければならない。匿名ブログの主のごとくナマの感情をぶつけてはいけないのだ。たとえ相手が大手新聞社であっても、それは変わらない。

それが出来ないというのであれば、自由気ままな私人に戻ればいい。そうすれば「朝日新聞、死ね」といくら言っても許される。そう、「KY新聞」「戦犯新聞」「売国新聞」などと好きに言える。

良い機会だ、私人たる私がお手本を示そう。


「足立も朝日も両方くたばれ!」

これが一国民のナマの感情というものである

おわり犬
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