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2013年05月26日14:50

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そろそろ結婚制度自体を見直したら?

不倫報道の矢口真里に芸能界から厳しい声「自業自得」「もっと悪いことやってる」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=2442595

 僕は「不倫」という言葉があまり好きではない。「不倫」とは、つまりは「人倫(人としての正しい道)から外れた行為」のことを意味する。ウィキペディアには、≪不倫は配偶者のある男や女が、配偶者以外の異性と恋愛し、性交を行うことをいう(配偶者のいない男や女が、配偶者がいる異性と恋愛し、性交を行う場合も含む)。古くは姦通、不義密通といった≫と書かれている。「不義密通」、いかにも仰々しい。

 要するに昔は、「家」「家族」というものが今よりもずっと重く考えられており、結婚制度は単なる男女の結びつきというよりも、「家」を支える基本アイテムであった。今みたいにDNA鑑定なんてものは存在しないから、「家」とか「家系」「血統」の正当性を担保するためには、「誰のタネによる子供なのか」に関して些かも疑問の余地があってはならなかったからであろう。一般庶民ならばともかくとして、皇帝とか、王侯貴族とか、エライ人がエライ人であるための根拠は由緒正しい血統しかない。大奥が男子禁制であったのも、中国に宦官なんて野蛮な制度が存在したのも、どこの馬の骨ともわからない奴の血が混じるリスクを排除するために他ならない。

 でも現在、世界的に見ても、結婚という制度自体が、もはや明らかに制度疲労を起こしつつある。日本では、まだかなり違和感があるが、欧米では「同性婚」なんてものが珍しくもなくなりつつある。そもそも欧米では子供の約半分くらいは婚外子である。ブロガーのChikirinさんの最近の日記に「結婚はオワコン!?」というのがあった。「オワコン」、つまり「ブームの終わったコンテンツ」という意味である。

 社会制度というものは、デジタルな感じに、ある日突然に、ガラッとある制度から別の制度に切り替わるものではないので、日本においては、まだまだこれからも当面は、結婚制度というものが、男女の結びつきの基本的なパターンであり続けるとは思うものの、それを「絶対視」するのは徐々に難しくなり、「相対的」な視点が必要になってくるのではないだろうか。つまりは夫婦関係というものを、絶対的なもの、神聖なものと考えること自体、世の中の実情とは相容れなくなってきているということである。

 好いた惚れたと言ったところで、男女関係は所詮は赤の他人である。人の気持ちは、移ろいやすいものである。恋愛には賞味期限があるというのは間違いのない事実である。移ろいやすい男女関係を、結婚制度によって固定化を図ろうとしたのは、簡単に言えば、生物としての人間にとって種の保存のためにそれが必要だったからである。人間の子供は生まれてから一人前になるまでに時間がかかるから、オス(男性)がメス(女性)を孕ませるだけ孕ませて、後の面倒は見ないというようなことを許すと、メス(女性)と生まれてきた子供は野垂れ死にしてしまう危険があるので、男女の結びつきを家族という単位である程度固定化する必要があったのであろう。いわば知恵の産物である。また男の方が女よりも腕っ節が強いので、狩猟採集活動が生存手段であった時代には、男が女子供を養うのは合理的であったのだろうし、最近でも男の方が女よりも経済力で勝るケースが多かったので同様に理に適っていたのだろう。

 今の世の中では、男性でも正社員になれず、甲斐性のないケースは少なくないし、逆に女性でもキャリア志向でバリバリと稼いでいる人も少なくない。また少子化が進む中、子育てにかかるコストの多くの部分は社会全体で負担していくべきものだという考え方が定着すれば、子育てのために婚姻関係を継続しなければならない理由は徐々に希薄なものとなっていく。要は我々納税者の決断次第、税金の配分如何によって、この辺の問題はいくらでも解決可能だということになる。

 そうなると、移ろいやすい男女の気持ちを、婚姻関係で無理に固定化しなければならない必然性もだんだんと乏しくなっていくので、ぶっちゃけた話、「気持ちに正直に生きればいいじゃん」ということになってくる。

 今回、「不倫騒動」(冒頭にも書いたが、僕は「不倫」なんて前時代的な表現は嫌いだ)を起こした矢口真理という芸能人は、たぶん自分の気持ちに正直な女性なのであろう。結婚相手の男性も、結婚した2年前にはもちろん好きだったのだろうが、2年も経てば結婚当初の情熱は当然に色褪せるし、新鮮味も乏しくなるので、たまには他の男の味見もしてみたくなったに違いない。肉食系女子としては当然のことである。

 彼女はたぶん夫よりも甲斐性があるので、経済的に夫との婚姻関係を維持しなければならない必然性はない。したがって普通の専業主婦と違って、自分の気持ちに正直に振る舞えるのであろう。世の主婦たちは、たとえやりたくても、こういうことはなかなかやれるものではない。だから羨望とやっかみで大騒ぎになったということである。

 「結婚したら、一生添い遂げるもの」なんて話は、既に時代遅れになりつつあるということを、そろそろ正直に認めるべきであろう。でも不思議なことに、僕が若い頃、大学生とか若手社会人の頃と比べても、最近は不倫に対するバッシングが極端に厳しくなってきているように思えてならないのだ。陳腐化しつつある結婚という古い制度の生命を、何とかして生き延びさせたいと考えている誰かの意思に基づき、電通あたりが世論のコントロールを試みているのであろうか。

 昔は、エラい政治家や財界人というものは、2号や3号がいるのが当り前だとされていた。文字どおりに「男の甲斐性」である。田中角栄には真紀子の腹違いの兄弟がいたと記憶しているし、西武の堤康次郎の息子、義明と清二も腹違いである。他人のやることを、「人倫に外れる」なんて非難するのはどうかしている。自分に甲斐性がないことを棚にあげて、羨ましいことをしている他人を嫉妬しているだけである。

 矢口真理に対するバッシングも多くの場合は嫉妬である。世の専業主婦は彼女みたいに経済力がないから、年下のイケメンをお持ち帰りしたくても、夫にバレて家を追い出されるリスクを考えると、なかなかそこまでやる勇気はない。したがって、自分たちがやりたくてもやれないことを、やれる矢口真理に対して激しく羨望とやっかみを感じているだけである。

 もちろん、一生仲良く暮らせる夫婦であれば、それはそれで結構なことである。でも単なる経済的な事情だけで我慢して、表面的に平穏な関係を維持しているだけであれば、それはお互いに不幸なことである。人生は短いのだから、もっと自分の気持ちに正直になれば良いのではないだろうか。

 たぶんこのままでいけば、結婚制度はあと20年もすれば、日本においても、随分と様相が変わってきているはずである。「家」を単位とする「戸籍」自体が見直されているかも知れない。突き詰めれば、人間にとって存在するに最低必要な個人情報は、「生物学的に誰が父親で、誰が母親か」だけである。したがって、「マイナンバー」とリンクして、両親が誰かという情報だけが管理されておれば、戸籍はもはや必ずしも必要ではない。

 なんだか話がどんどんと矢口真理の件から外れていくが、他人のセックスについて、「人倫」を持ちだして、あれこれと非難するのはどうも違和感がある。その違和感の根本は、現在の結婚制度自体が制度疲労を起こしていて、居心地の悪さを皆が薄々感じているにも拘わらず、気づかないふりをして、「家族っていいな」「夫婦っていいな」というステロタイプな価値観を押し付け合っているところにある。もちろん、本心からそのように信じているのであれば、それについてどうこう文句を言うつもりはない。他人に自分の価値観を押し付けるのはやめた方がいいということである。

 そもそも人間という生き物は、中途半端に進化を遂げた結果、本能がぶっ壊れており、特にセックスに関しては救い難いくらいに非合理的な存在である。本来はセックスは種の保存のための行為であるはずなのに、年中発情して、避妊をして楽しみのためだけにセックスをするのだから、他の生物から見たら、まったく意味不明であろう。要するに、臍から下の問題に関しては、絶対的に正しいこともない代わりに、絶対的な誤りというものもなく、自己の価値観を他人に押し付けることに関しては慎重になるべきであろう。
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