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2018年03月23日00:35

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日常会話の「設置」と放送法の「設置」の違い。

さて、巷ではまた注目の判決がでたようですが。
ちょいと受信契約に関する判文と事件の結果を拾ってきてまとめてみました。

どうもこの案件については感情的な議論が続いていて、前に進まないな〜というのが印象です。

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本題。
議論の中心になっているのは「放送受信目的での『設置』」ですね。
この「設置」という点について、日常会話では「何かを固定したり、運び込んだりして、長期間一定の場所に置いておくこと」というのが一般的な意味かと思います。
これをそのままワンセグ携帯に適用すると、ワンセグ携帯を部屋の壁にガムテープで貼り付けておくようなことがあって、初めて「設置した」といえるでしょう。
持ち歩ける間は、設置したわけではないという主張も、もっともです。

っんが、一連の裁判の判文と、今回の東京高裁の判文(以下、判文)を読んでみますと、
「設置」とは、「放送を受信できる状態にすること」を意味するとし、さらに本人に「NHKを具体的に視聴する意思がなかったとしても」(←ココ重要)「設置」に該当する、と判断しています。

法律に浸っていると、ああ、「主観説」と「客観説」ね。うん、そうだね。
で終わってしまうのですが、判文は客観説をとっているようです。

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この客観説というのは、「周囲の状況を踏まえて、そこから生じうる最も一般的な事情を組み立てて、結論を出す」という方法です。多くの人に適用される条文などを、可能な限り均質的に適用するためにとられる解釈です。
これに対して、主観説というのは、「本人が具体的に何を考えているか」を個別に考える解釈です。


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今回の事案に話を戻すと、「ワンセグ機能付きの携帯電話を所持すること」について、携帯電話は、電波を受信、送信して利用する機械ですから、客観的に考えれば、「ワンセグ機能を含めた携帯電話についている受信、送信機能をすべて利用する目的」でワンセグ携帯を所持しているということがいえるでしょう。
ワンセグ機能を使わないのであれば、契約によってワンセグ機能を止めることもできるでしょうし、ワンセグ機能のついていない機種を選択することも可能ですから、ワンセグ機能付きの携帯を所持している以上、そのように評価されても仕方がないでしょう。


ここでクセモノなのが、判文は「放送を『受信できる状態』」としており、「受信」を単なる可能性で捉えているという点です。
つまり、「やろうと思えば特段の手段を加えずに、NHKを受信し、視聴できる程度の可能性で足りる」としているのです。
おそらくこのあたりの感覚が、一般的には受け入れられない理由かと思われます。

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しかしながら、放送法での契約強制は、本当のところ「NHK放送を強制的にでも浸透させる」目的で制定されています。
この専売公社的考えというか、強制配給的考えというか、そういった価値観については、近年大きな疑問が投げかけられていますが、これは放送法の契約強制規定が存在する以上は、仕方のない解釈です。

が、これはもう解釈の限界ラインを右往左往している程度の無茶な解釈ともいってよいレベルです。
なぜなら「本来、『固定して移動しない』意味を持つ『設置』という言葉に『持ち歩ける携帯電話』という意味を含めてしまっているからです。

もちろんのこと、放送法の契約強制規定が定められたときは、ワンセグも、インターネットも存在しなかったので、制定当時、これらの通信手段についての配慮は全くされていません。ですから、本筋としてはワンセグやインターネットが世に出回った時点で、国会が速やかに動き、これらが放送法の適用を受けるべきなのか、をハッキリさせればよかったのです。
しかし、そういった手当はなされず条文だけが取り残されてしまい、結果、こんな無茶な解釈を当てはめることになったわけです。


以上のことからすれば、この問題は条文が現行のまま存在する限り、永遠に続くことでしょう。

ちなみに、裁判所はこの条文がいかに不合理なものであると自覚していても、自ら内容を変えて代替案を出すなどという権限は与えられていません。せいぜい、改正のための議論を促す程度にとどまるでしょう。
これも三権分立なので仕方ないです。





ワンセグ受信料でNHK勝訴 高裁
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5037978
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