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2018年04月24日16:57

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ピカはうつる。ヒロシマナガサキとフクシマ・・内部被曝のタブーは終わらない。

元ツイってこれなのかな?

onodekita
‏ @onodekita

ピカの毒はうつる。当然だ。放射性物質なのだから、除染しない限り、人から人へ伝播する。はだしのゲンでも、その主張は当然出ているが、デマだと片付けられている。

https://twitter.com/onodekita/status/320340807494287360


前後のtweetをツイログで見ようと思ったらもう消えてる感じだった。


ピカの毒
小野さんの書いたブログの引用
http://onodekita.sblo.jp/article/64898055.html

2013年04月14日
ピカの毒−残留放射能−の真実(投下直後からプレスコードで隠蔽した米国と暴いたオーストラリア人記者)
 原爆の投下の中で、最も隠蔽されてきたのが、いわゆる「ピカの毒」と言われてきた代物−残留放射能−です。この残留放射能は、原爆を使う上で最も大きな問題であるとともに、差別の要因ともなりうるので、米国の意向(核兵器の残虐性を隠す)と日本の意向(体制維持と被曝被害隠し)がマッチして、被爆者自身が大きな犠牲となっています。

 放射能は管理区域から持ち出さないように、除染する必要があるわけですが、プレスの前でそれを端的に話すと、大臣の首が飛びます。

鉢呂氏「放射能うつす」と発言 政府、与党に進退論
 鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第1原発の視察を終えた8日夜、都内で報道陣の一人に防災服をすりつけるしぐさをし、「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をしていたことが9日分かった。与党幹部が9日夜、「事実なら厳しい」と述べるなど、政府、与党内に進退問題に発展するとの見方も浮上した。野党は「死の町」発言と合わせ、13日召集の国会で追及する姿勢を強めており、野田佳彦首相が厳しい判断を迫られる可能性も出てきた。
2011/09/10 00:07 【共同通信】

 この裏には、いろいろと画策があるようですが、福島を訪問した大臣ですから、放射能が衣服についているのは間違いなく、それをうつすと言っただけで辞任−そもそもわるいのはこのような汚染物質をまき散らした東電ですが、そうではなく事実を言った人間の首を取るとは、マスコミはいったい何を考えているのでしょうか。

このように考えれば、何を示しているのかはだれにでもわかるでしょう。(赤いつぶつぶの絵)
2013041204.jpg

この発言をしますと、山のようにツイッターで反撃されました。どうやら、放射能の基本的な知識も何もないことがよくわかります。

「ピカの毒はうつる」発言(onodekita)に対する反応
onodekita氏「ピカの毒はうつる」と差別的発言

ピカ といえば、広島に落ちた原爆のことを指します。はだしのゲンではどのように描写されているか。
2013041401.jpg

たしかにピカの毒はうつるはずないのに、差別だと書いてあります。

003:『はだしのゲンが見たヒロシマ』完成披露記者会見レポート 中沢啓治さん(『はだしのゲン』作者)+石田優子さん(『はだしのゲンが見たヒロシマ』監督)
福島の原発事故への、被爆者としての中沢さんの思いは?
中沢:僕は前から原発には反対でした。まだまだ人間が制御できる段階ではないと思うんです。案の定それが起きたと。この地震列島にものすごい数の原発を作るのは危険だと思ってました。事故後のチェルノブイリにも僕は行きました。4号炉にも入りましたが15分で出てきて、(測定器が)振り切れるほどの放射能が充満していました。(放射能が無くなるまで)100年くらいかかるんじゃないでしょうか、いや無くならないというか(わからないが)……。日本にもし事故が起きたらどうなるんだろうと思って帰ってきたんだけど、東北の大地震からよもやこんなことが起こるとは。まだまだ人間が制御できる段階じゃない。原発は放棄して、自然燃料に切り替えるべきじゃないかと思っています。

原爆が落ちたとき、僕は「黒い雨」を全身に浴びたわけです。ものすごく気持ちが悪くなって水も何も飲みたくない。じーっとうずくまってた。それが放射能の影響だとは当時は誰もわからない、そもそも放射能というものがわからんわけです。だから僕は放射能汚染されてるんです。だけど今回の福島原発の事故で風評がはびこって、福島から来た子供をいじめぬくというから、本当に腹が立った。先生はしっかり勉強してほしい。広島で放射能を浴びたって、僕はこうして72歳まで生きてるわけだから。放射能は伝染しないと子供たちに教えなくてはいけない。親も風評に騙されて動かないように。やはり放射能、放射能という恐怖感を持ってしまうが、大丈夫なんだと。こんなことを言うと原発の肩を持つような捉え方をされたりするかもしれないけど、そうじゃなくて、風評に踊らされないようにきちんと冷静に見てほしいと思ってます。

日々放射能汚染のニュースが報道されていますが、冷静にと?
中沢:僕たちの時代には、測定器とかいうものは何もなかったんです。広島の焼け跡に、郊外から用事をしにきた人が入って、帰っていくと翌日死んでる。そういう事実がいっぱいあって、なんで広島の焼け跡を歩いたら死ぬんだと不思議でしかたがなかった。当時は放射能というものがわからないから伝染病じゃないかと。だから広島の焼け跡には行くなという噂が広がったけど、結局は放射能だったんです。広島の焼け跡に黒い雨が集中的に降ったところと降らないところがあって、歩いたところにたまたま集中的に充満していたから死んだんでしょう。放射能は伝染病じゃない。僕もたっぷり浴びましたが、こうして生きてますから。

 はだしのゲンの中には、ゲン自身、いつ自分の身にピカの影響が出てくるのか不安がるシーンがいくつも出てきます。
2013041402.jpg
被爆後8年−被爆者に暗雲
広島市原爆障害者協議会の発表によると被爆者に急激な白血病の増加がみられ、早急に対処することが決定した。さらに原爆症はほとんど全身病の性格を持つとも発表した。

ゲンの顔から汗が噴き出ています。被爆をしても長生きできる可能性があるのは確かですが、全然心配いらないというわけでもないと言うことは、このゲンの顔が雄弁に物語っています。

肥田先生をして反核運動に駆り立てた入市被爆
「わしゃピカには遭うとらんのじゃ。あの日の昼から中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり死骸を運んだりした。二晩、浅野邸で寝て、三日目に救援作業に出るよう思うたら気分が悪くなり、ここへ運ばれてきた。なしてわしの髪の毛は抜けるんじゃ、ピカに遭うとらんのに」
からだのどこにも火傷やけががなく、衣服にも破れや焼け焦げなどはない。本人の訴えるとおり、原爆の爆発時に市内にいなかった者に、、どうして死んでゆく被害者と同じ症状が現れるのか。

はだしのゲンにも同じ記述
2013041404.jpg

そして、救護者被爆なる概念もあると教えてもらいました。

長崎原爆:「救護被爆者」がん多発 原爆症認定へ裏付け
長崎に原爆が投下された直後、長崎県大村市の「大村海軍病院」に収容された被爆者らを救護した軍医や衛生兵、看護師らが、がんや肝機能障害、白内障などを、一般より高い率で発症していることが、弁護士らの調査で分かった。被爆者援護法は、広島・長崎市外で救護活動に携わった人も「救護被爆者」として原爆症認定の対象にしているが、認定例は報告されていない。調査に加わった澤田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学)は「被爆者の衣服や髪に付いた放射性微粒子を医療従事者が吸い込み、体内で被ばくし続ける内部被ばくによる健康被害の可能性が高い」と指摘。調査結果は、救護被爆者の原爆症認定に向けた一助となりそうだ。

調査は05年11月〜06年11月、同病院の元職員約700人に救護状況や健康状態に関する質問状を送付して実施。遺族を含め約120人から回答があり、うち実際に救護活動に当たった人は73人(男性32人、女性41人)だった。救護被爆者への原爆放射線の影響に関する調査は過去に例がない。

1945年8月9日の原爆投下後、長崎市の北約20キロの同病院には、救援列車やトラックで被爆者千数百人が運び込まれ、約860人の病院職員が救護に当たった。
全国で266人の被爆者が起こしている原爆症認定訴訟の原告に、当時の同病院看護師1人も参加。同病院で救護に当たった人にがん死亡者が異常に多いと聞いたことから、近畿弁護団が統計の専門家と共に調査した。

調査結果は、被爆者278人、非被爆者530人を対象にした「04年くまもと被爆者健康調査プロジェクト04」などと比較して分析。同病院の救護被爆者73人のうち25人(34.2%)ががんを発症しており、「くまもと04」の非被爆者の発症率(9.7%)や遠距離・入市被爆者(19.9%)よりも高率だった。また、肝炎の発症率も「くまもと04」の非被爆者の約2倍。白内障や変形性関節症、前立腺肥大(男性)の発症率も、他調査での非被爆者に比べて高かった。脱毛や下痢など被爆者特有の急性症状も多くの回答者にみられた。

被爆者手帳所持者のうち、疾病が原爆に起因し治療が必要な「原爆症」と認定された人には医療特別手当が支給されるが、認定は手帳所持者の1%未満の2242人。爆心から2キロ以遠の「遠距離被爆」や、被爆地に後日入った「入市被爆」でも、ほとんど認定されていない。救護被爆として手帳を所持する2万5566人については、放射線の影響はほとんどないとして、原爆症認定申請を却下されてきた。        (岩崎日出雄)(毎日新聞 2007.08.04)

 爆心地から20キロも離れていれば、さすがに原爆放射能を直接受けたわけではないでしょう。これは、被爆者に降り積もった放射能が、救護者にうつって二次被爆を引き起こしたと考えるのが妥当です。


◆関連ブログ・・リンクはブログの下にあるのでそちらからどうぞ。
死の町−真実を話すと猛反発を食らうニッポン−被爆後2年2013年04月09日
福島除染ボランティアと入市被爆2011年11月09日
放射能と人体(3)核の本質−内部被曝2011年11月14日
われわれは原発事故にどう対処すればよいか(肥田舜太郎氏)2011年06月26日
仏マルクールの「産業事故」(2)・現場に近づけない2011年09月15日
スリーマイル原子力発電所の事故(放射能漏洩量と運転員の質)2012年09月24日


・・・・・・・・


原子爆弾による放射性物質の汚染について、なんとなくタブーになっていたけど昔から私はそれがあるんだろうなあと思ってはいた。

今、もう一回これを読む羽目になろうとはねえ。(溜息)


広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に
関する研究の現状
2010年5月
広島“黒い雨”放射能研究会

http://www.hisof.jp/01publication/0301BlackRain2010.pdf

はじめに
1945 年 8 月 6 日広島に原爆が投下された。多くの人々が犠牲となった。原爆の被害が通常の爆弾と異なるのは、その威力がすさまじく一つの市を破壊することが出来るほどであることである。しかし、それだけでなく放射線による被害があった。これが多数の犠牲者を出しただけでなく、生き残った人々にも長らく放射線の影響により苦しみを与えた。

私たちを中心とした研究グループは、放射線による影響解明のため、その基礎となる被ばく線量の推定の作業を 30 年以上にわたって行ってきた。その中で、直接被ばくによる放射線の影響は致死量にも達するほど大きいがその線量は解明された。それは原爆被ばく線量評価体系 2002(DS02)という計算方式で、かなり正確な被ばく線量が分かるようになった。

しかしながら、爆心から 2km 以遠や更に遠方の黒い雨の降雨地域の内外、爆発の後に入市した早期入市者、被ばく者の介護に当たった医療関係者などの被ばくについては、これまで継続して研究を続けてきたがその正確な被ばく線量についてはよく分からなかった。

たとえば早期入市者については入市の時間とルートが分かれば物理的線量はある程度まで計算できるが、被ばく者の訴える体調の不調など説明できていない。
その間、チェルノブイリや、セミパラチンスクでの放射線の被ばくが世界的に問題になり、放射線の線量推定や人々への影響についての調査研究が格段に進んだ。この手法がそのまま広島・長崎の黒い雨の被ばく研究に応用できることが分かってきた。
広島・長崎の放射線の被ばくについて、未解明のまま残されている問題は多い。ここでは最近関心の高いことでもある広島の黒い雨について、その当時その地域に住んでいた人々が受けた放射線による被ばくがどの程度であったか、すなわちその被ばく線量をこれまでに解明されてきた各分野の知識や方法を駆使して推定した。

この報告はこれまで広島市役所の場での 2 年間の研究の結果をまとめたものである。どの程度の被ばくがあったか、更に降雨がどの範囲に広がっていたかを報告する。これは途中経過であり、今後約 1 年間で更に測定結果や線量推定の精度を上げそのとき最終的な報告を提出する。 2010年5月 星 正治

内容はPDFへ


・・
2010年版の報道については見たですけど
この辺の研究結果について全部実は私把握してないんですけど、本とか出たのかな?



内部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ (2009/08/07) - 思いがめぐる http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68200577.html

これを見た時もショックだったよなあ。




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