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2015年11月04日23:00

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詰パラ11月号到着

 十和田には2日にパラが届いた。久々に、目を通した感想などを書いてみよう。

 相変わらずページの無駄としか思えない連載がいくつかあるが、それはさておき、まずは「夢想の研究」から。古典に新たな角度から光を当て、それにより今まで誰も知りえなかった宗看・看寿の創作時の思考法に迫るという、非常に刺激的な論考。「図式化による手筋分類」という手法は明らかにチェスプロブレムの影響と思われるが、超一流の作家による一級品の詰将棋の解析は読んでいて本当にスリリングだ。半年に一度のペースでいいから、是非続けていって欲しい。
 ただ、一ヶ所だけ引っかかったのは「宗看はいったいどうやって無から有を生んだのだろうか」というところ。この種の疑問は「この詰2015」でも発せられているが、私にはそれがそんなに重要なことだとは思えないのだ。譬えるなら、この問いは初めてナマコを食べた人間に対して「何故あなたはナマコを食べようとしたのですか」と尋ねるようなもので、理由を詮索することにさして意味があるとは思えない。これまで誰もやらなかったことに挑戦したり、最初にそういうことが閃いた人間を大いに称える、それで十分なのではないだろうか。

「将棋パズル雑談」についても述べなくてはならないだろう。この新コーナー、「将棋パズル」と銘打ってはいるが、実質的には詰パラ初の「将棋におけるレトロ解析」のコーナーだ。8年前に「推理将棋」の連載を始めた際には「担当をするのもこれが最後だろうな」と思っていたのだが、どうやらその予感は外れていたらしい。それにしても、何事にも保守的な自分が、詰パラの世界では二度までも新企画をプレゼンするポジションにいるというのは不思議としか言いようがない。
 もしかしたら読者の中には、私が自作の将棋パズルを載せる為に新コーナーを作ったのだとカン違いされている方がいらっしゃるかもしれないが、あの文章を書いたのも、それ以前にそもそもM上CEOにかけあってページを獲得したのも中村氏であり、実は私は殆ど何もしていない。(実際、自作についてはtwitterやmixiで発表した際に数人の方から反応を頂き、それで十分満足していたのだ)もし私の貢献があったとすれば、それは結果的に中村氏を「将棋パズル雑談」の担当という形で「書く側」に引っぱり込んだことだろう。氏の才能が詰将棋にとどまらないのは「推理将棋」で既に証明済みだが、実は氏は文才にも恵まれているのだ。今回見せたユーモラスな掛け合い漫才によって、将棋パズル(将棋レトロ)の世界に誘われる読者がこれから沢山現れることを切に願っている。
 尚、M上CEOからは「反応が悪かったら即打ち切りだから」と脅されているので、ここの読者の方は是非解答をお寄せ下さいな。一題解答でも大歓迎です。

 結果稿にもざっと目を通したが、高校の片山作がダントツで好み。今年の高坂賞の最有力候補だ(←どーでもいい)。反論が多数あることを承知で言うと、新構想はいずれ古びて陳腐化するが、推敲を尽くした手筋ものの魅力はいつまでも色褪せることがない。John Lennonは「“Power to the people”などと叫ぶよりも、人々の心に届くラブソングを歌う方がずっと難しい」と言っていたが、それと似た感じかな。「好形好作」という言葉が死語となって久しいが、この作者には今後もこういう路線を貫いて欲しい。

 最後に「らんぶる」。一読した感じではただの老人の昔話のように見えなくもないのだが(失礼)、これからどういう展開が待っているのだろうか?わざわざ「伏線」と題しているのも何だか意味深だし、この後何らかの形で現在にコミットしてくることを期待している。
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