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2018年01月18日20:15

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自動的にそうなるのだ

さて16日は共同主宰している三鷹台ラフタークラブの笑い始め、いつもと違う会場て新年会食付きの賑々しいレッスンとなったが、たまたまそこのオーナーの娘さんが明後日からインドへ一人旅で出かける・・・・ということで、例によってお節介にあれやこれやをお話しするという展開になった(笑)。

彼女はムンバイで実施されるマラソンに参加した後で南インド各地を回りたい・・とのこと、昨年ツアーで北インドを旅したそうだが、今回は南インドをバックパッカーの独り旅で!!という誠にあっぱれな話ざんすねえ。


もっとも彼女はアルナ―チャラに興味があるわけではないので、ごくごく一般的な「インド旅指南」だったのだが、これまで少なからぬ人数の「インド旅の相談」を受けてきた体験上、なかなか面白い傾向があるのざんすよ。


それは「女性の方が圧倒的に決断力がある」ということですな。

案外男性の相談者は、

「行こうかどうか迷っているのですが・・・いろいろ不安もありますし、独りというのはハードルが高い様な気がして云々・・」

的なニュアンスでアドバイスを求めてくるケースが多いのだが、


女性の場合は殆どが、

「不安もありますが『どうしても行きたい!!』という気持ちが強く、思い切って独りで行くことにしました・・・ついては具体的にどう進めていけばいいのか?を教えて頂けますか?」

という感じなのだねえ。



14日に現地発行日本語版NL「SILENCE」紹介ファイルを仕上げて臨在サイトに編入し公開したわけだが、このニューズレターの内容の一つとして「現地訪問・滞在者」の手記というコーナーがあって、創刊号では知人Yさんの手記が掲載されていた。


このYさんという方はそれまで特にインド思想や宗教に興味があったわけではなく(いわゆる「霊性修行」とかもしたことがなく)、ある時ふとしたきっかけで「ラマナのお写真」を見て強いインパクトを受け、「どうしてもアルナーチャラへ行きたい!!」という情熱に駆られるようになって、結果的に私にアクセスしてこられた・・・わけである。


私に相談をしてくる方というのは、「インドは初めて」・「個人手配旅行は初めて」・「英語はあまり話せない」というケースが多いのだが、このYさんもやはりそうであった。

そういう方にとっては、なるほど確かに「ハードルが高い」のは事実であるにしても、やはり肝心なのは「それでもとにかくアルナーチャラへ行きたい!!」という情熱が全てに優先する・・というか、自身の中で最優先されるが故に、あれこれ諸々の「不安」も抱き抱えたままであろうとも、勇気を振り絞って旅に出る!わけざんすね。



そんなYさんが現地でどのような体験をされたのか?

少々長くなるがニューズレターに掲載されたYさんの手記より抜粋紹介すると・・・・



>>>>>>


足元の岩・木々・草花など目に映る自然の一つ一つにラマナ・マハルシの存在を感じ、心の底から自然への愛しさが溢れてきました。自然との会話を心地よい高揚感の中で味わいながら歩き続けました。


部屋に戻り疲れた身体でベッドに横たわっていると、生物や自然だけでなく、無生物である天井のファン・干された洗濯物・クローゼットまで、注意を向けるもの全てがラマナ・マハルシに見えてきました。

時にそのお顔で視界が埋め尽くされ、ある時は全てにその存在を感じ、時折いつもの自分に戻り怖くなり、気付くとただ冷静に見ている…その状態がくるくると繰り返されました。私は自分が半ば狂ってしまったのではないかと思いました。


夕方過ぎ、アーシュラムのサマーディーホールの隅で座っていると『アルナーチャラ・シヴァ』のパーラーヤナが始まりました。私は全身が聴覚になったかようにその音を感じ始めました。一気に涙腺が崩壊し、涙と鼻水が滝のように流れ出しました。

すると、これまでいつもその瞳で私を真っ直ぐに見つめていたバガヴァーンが、まるで地面からせり上がってくるように現れ、私の身体と重なり共に座って下さいました。

そして気が付くと、ホールとホール内の人々の全てが横座りする大きなバガヴァーンにすっぽりと包まれていました。それは頭の中が吹き飛ばされそうな存在感で、激しく放たれた光のように鋭く眩しく、体験した事のない崇高さでした。

その美しさに、静かにしばらく浸っていると、私は不意にこのように理解しました。

「バガヴァーンはどこにでもいる。どこにいようとバガヴァーンは私と一緒にいる」と。


ラマナ・マハルシの眼差しの力によって、多くの人々がさまざまな体験を得ていることを知りました。私にとってその眼差しは、まさに「沈黙」の教えそのものでした。

訪問以前は、沈黙の力の意味するところがよくわかりませんでした。しかし実際に現地を訪れたことで、

バガヴァーンは肉体なしに今も強烈に臨在し、言語を超えた導きが得られる

という事実を身をもって知ることができました。


日本の生活に戻っても、身の回りの何かが変わるわけではないでしょう。ただ、アーシュラムでの滞在体験から私が理解したことは、揺らぐことはないでしょう。

私はこの旅を通じて、全てのご縁と出来事に神の計らいを感じずにはいられません。今後どのような残りの人生が待っているのかはわかりませんが、私はバガヴァーンに、神に、真我に、委ねたいと思います。



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という具合である。

私自身は同じことを別の様態で体験したことがあって、それは「全てがラマナに見える・感じる」というものではなかったものの、

「いまここにある一切合切のもの、ゴミひとつ・チリひとつに至るまで漏れなく遍く、ラマナ=アルナーチャラの比類無き恩寵と臨在が浸透しているのだ!!」

・・・ということのリアルな確信、とでもいうような体験であった。


これも「何らかの修行の結果」とかではなくて、ある時バガヴァンのサマディの周りをぐるぐる回っているうちに、「不意に・突然」そのような感覚的体験が「もたらされた」のであった。



「場所としての」・「地理的な意味での」・「南インドの山である」アルナーチャラへ直接出かけて行って、果たしてそこで何を体験するのか?


これは、人様ざま千差万別で「こうすれば必ずこうなる」というものではないのだが(むしろ「何も起こらない」ことの方が多い・・かもしれない)、Yさんの場合は初回の訪問で「ラマナ=アルナーチャラ」の臨在と恩寵をリアルに体験する結果となったわけで、

これはある意味で「どうしても行きたい!」という情熱自体が「ラマナ=アルナーチャラ」からの「お導き・招命」であり、それに対して「勇気を振り絞って(エゴが自己防衛のために感じている「不安」を乗り越えて)」行動したことで、「臨在と恩寵」の祝福を受けられる準備が出来た・・と言いうるのではないだろうか?


そしてそのようなリアルな体験をすると、手記にも書かれている通りで、


・バガヴァーンは肉体なしに今も強烈に臨在し、言語を超えた導きが得られる

・バガヴァーンはどこにでもいる。どこにいようとバガヴァーンは私と一緒にいる

・今後どのような残りの人生が待っているのかはわかりませんが、私はバガヴァーンに、神に、真我に、委ねたいと思います。


・・・という「ラマナ・バクタ」「ラマナ信奉者」になっちゃうのですな、しかもこれは「自動的」にそうなっちゃう!!・・のであって、自由意志で「そういう信仰を選択した」ということではないのざんすよん。



まあ私の立場というのは、

「もしかしたら訪問者にそういうような体験がもたらされるかも?・・そうであったら良いのだが」

という一縷の期待を込めて、「臨在サイト」の管理と「アルナーチャラの宣伝・案内屋」として、大いなるお節介なる業務をやってる次第ざんす。



さて三鷹台から帰宅したら、60歳近いご夫妻から、

「海外旅行体験も少なく英語もあまり話せませんが、今度3月下旬に是非アルナ―チャラを訪問したい・・・と思いますので、ガイダンスをお願いします。」

という依頼があった。


臨在サイトの更新・新設・リニューアル作業の一つが終わってやれやれ・・と思ったら、こんな風に次の業務が飛び込んでくるわけざんすよ。

ということもあって、24日掲載予定の「個人手配ガイダンス」追加ファイル作成作業にも意義が生じてきた感じですなあ。



そんな風に無為徒食で引き籠り中高年?の私であるが、やはり今年も「アルナーチャラの宣伝・案内屋」業務が続きそうな按配ざんす。


今年の元旦には大して印象的な「初夢」は観なかったが、旧暦元旦の夜というか朝方見た夢には、「天皇陛下」が登場した・・・まあ、ついでに安倍首相も出てきたが(笑)。

ああ、そういえば先日は「ラマナのふんどし」の夢も見たなあ・・・。

天皇陛下とラマナはごくまれにであるが夢の中に出てくる。


以前の夢の中でラマナから「杖」と「水差し」は直接「手渡しされた」ことがあるのだが、さすがにまだ「ふんどし」はもらえないざんすねえ、わははははは・・・!!
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