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2018年07月17日13:57

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「業」のはなし part1(輪廻、その原型)

 さて、「業」の話を始めようと思うが、まずは業と切っても切れない輪廻という思想(考え方)についての話から始めよう。今回は、その考え方の原型について。

 「輪廻」。今日の私奴らが「悪い事をしたら来世で地獄に落ちる(or畜生に生まれ変わる)」なんて科白でお坊さまから脅かされる。まさにそれは「輪廻」の思想(乃至、その残滓)そのものとも思える。即ち、輪廻とは、「人は死しても何度も転生し、動物なども含めた生類に生まれ変わると考える思想のこと。しかも何処に生まれ変わるかは、その人の生前の行いによって決まってくる」と。

 今日では、「悪い事をばかりすると悪業の報いで地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わり、善い事をすると善業の結果再度に人の世に生またり天に生まれる」なんてことは、日常的に人々の間で囁かれる。このような輪廻思想(考え方)は仏教の教えに由来すると思われているのだが、実はそうでもない(今日のヒンドゥ教やジャイナ教でも広く言われている)。それどころか、お釈迦さんの仏教以前の時代(バラモン教(後のヒンドゥ教の前身)が支配的だった時代)から、広くインドで人々に信じられていた思想と言える。

 時代的にはハッキリとはしていないが、初期ウパニシャッド(バラモン教の聖典に関する奥義書の初期のもの)に、五火二道説という興味深い考え方が説かれている。今回は、この説を輪廻思想の原型として紹介しよう。

 五火説。死者の霊は天界に赴いた後この世に再生する五段階の過程を次のごとく説く。
 1)人は死んで火葬に付され煙となって、月に行く
 2)やがて、雨となって地上に降り、草木に吸収される
 3)そこで(大地で)で食物となる
 4)男性に食べられ体内で精子となる
 5)精子は母胎に入って胎児となって、人として再生する
 (五火というのは、バラモン教の火に係わる儀礼から来ているとか)

 この五火説に、二道説というのが加わり、五火二道説が出現する。二道説とは、死者の霊は信仰厚くバラモン教の苦行(修行)に専心したした者は神道(神への道)を辿り、家長の義務を果たした(まあ、普通に家族を養った程度の意)者は祖道(祖先としての道)を辿るという説。
ごく普通に家族を養ってガンバリましたよ程度の者は、五火のプロセスをグルグルと巡るだけだが、信仰厚く苦行に専心した者は五火のプロセスから脱し、神(この場合ブラフマンのことだが)と一体になることだ出来るというのが、五火二道説という訳。後に、バラモン教ではさらにこの考えをより精緻な思想として作り上げた。

 お釈迦さんの仏教(悟りと涅槃への道(とりもなおさずそれは輪廻から脱出を意味する))は、このような往時のインドの人々の間にあった考え方なり風潮を背景に持って登場したもので、更にアビダルマ仏教を経て大乗仏教で大いに装飾され、華麗な地獄絵図なんてものにまで発展する。
(余談だが、今日の日本の仏教学者の中では、「釈迦は輪廻を認めていなかった」などという説が囁かれていたりするのだが、あまり生産的な議論ではなさそうに思う)

本日のお話は、ここまで。
(昨日、今日の暑さときたら! 業火に焼かれるとはこのことか?(違うか、(^^))。

上掲写真は、六道輪廻をあらわしたチベット仏教の仏画。ウィキペディアより借用
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