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2017年08月16日14:26

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大学で学ぶということ

8月14日、15日と大学のスクーリングを受けてきました。
今回は「レポートの書き方」。書籍などは読んだことあるけど、講義として受けるのは、これが初めてです。
1時限、2時限と受けている内に、ふと気づいたこと。
「大学の授業って、自分なりの正解があっていいんだ」

私は大学卒業の資格を持っていますが、通学制の大学を卒業したわけではないです。
今回のスクーリングはゼミの形式を取っていたので、受ける人は少人数。
(通信制の大学だと少人数制のスクーリングは、あまりないです。人数が少なかったので、なし崩しに少人数になってしまう授業もありますが・・・)
先生が書いたものを丁寧にその場で添削してくれるのも初めてでした。
別の人の書いたものを見比べていたときに気づいたことが、上記のとおりのこと。
今回、全員同じ一般書を読んで、レポートの序文を書く・・・という内容だったのですが、
同じ本を読んでも全員書くことバラバラ・・・。
猫町倶楽部で読書会に参加しているので、同じ本を読んでも人が感じることはバラバラだとは知っていましたが、だけど、ここは社会人サークルではなく、大学の授業。
『問題→正解/不正解』の方程式を持っていた私は「私の考え、間違ってない!?」との不安が出てきました。
おそるおそる先生に見せたところ、接続詞などを訂正されましたが、内容については、マル。
休憩時間に先生に話したところ「形式があっていて、自分なりのレポートが書けていればよい」とのこと。

「あまりに話の内容がズレていたり、レポートの文字数に過不足があると減点だけど、そうじゃなかったらよい」
「今回は自分の意見を書くというのも授業の内だから」
「他人と意見が違っていても、それが不正解というわけじゃない。自分なりの結論があれば、正解だ」

今まで学校の授業は、正解、不正解があり、正解にならなければダメ・・・と考えていた私にとっては、目から鱗の授業でした。それと同時に「大学というのは自分の意見を伝えることを学ぶ場所なんだな」と感じました。思ったことを伝える、自分の考えを書く、問題を見つける・・・どれも社会では当たり前に必要とされるものですが、実践を踏まえて、それを学ぶことは、大学以外では中々難しいなぁ、と思いました。
せっかく、もう一度大学で学べることができたので、今度は大学で専門的な知識を学ぶと同時に大学でしか学べないことも学んでいきたいです。

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