「せめて一人だけでも助ける」という姿勢は正しいと思う。
「全員できないならやめとけ」といわれたら、何もできない。
たとえば、難民の里親になって一人だけひきとって育てるなんて場合に、よく「一人だけ助けても意味がない」とか「全員を救えないなら不公平だからダメだ」とか言う人がいる。
ワシはそうは思わない。
全員一緒でないとダメというなら何もできないから。
全員助けられるようにシステムが整うのを待っていたらいつまでも何もできない。
最初の一歩ってもんがあるから、まずは一部だけでも構わないと思う。
だから、重篤な病気の母親がいるのなら、一人だけ特別扱いにしてやってもいいじゃないかと思う。
しかし今回の争点は、一人だけ特別扱いにしたことではない。その一人を選んだ理由です。
困っている人全員なんとかしてやるのは無理でも、せめて緊急性のある一人だけでも助けてやるというのは、納得できる。
けれど、その一人を選ぶのに、職員だからというのでは納得がいかない。
今までだって、重篤な病気を持つ母親の子供はいた。
なのに、その時は特別扱いはしないで、今回、職員なら便宜をはかってやった。
一般市民と職員で態度を変えるのはいただけない。
困っている人を特別扱いしたこと自体が問題なのではなく、その理由が問題になっているのです。
「緊急性・必要性のある一人だけでもなんとか緊急入所で救ってやろう」というのは正しいと思う。
しかし、一般市民が相談にきた時には特別扱いせず、今回の職員には特別扱いの理由を説明してもらいたい。
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1月21日追記
これまでダメだったのに今回はうまくいったのは、保育園側の状況が変わったからでは? というご意見が散見されます。
もしそうならば、市側はそう説明するはずです。
今回、元課員に「市職員だから優先した」と非難されているのだから、市職員だからではなく受け入れ側の状況が違ったから緊急入所できたのならば、そう説明するはずです。
たとえばですが、
「これまで市民が相談しに来た時にはなかった保育園が新設されている」とか「保育士を増員したばかりだったから緊急措置がとれた」とか ←←※これは私の考えた例ですが。
しかし、そんな説明はありません。
■市課長、職員の子の入園決定 「特別扱い」訴訟に発展
(朝日新聞デジタル - 01月19日 08:27)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4949418
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