平安京妄想シリーズ
枳殻邸は別に源融の「河原院」の故地にあるわけではないが、源氏物語の「六条院」を意識して作られたことはよく知られている。いわゆる「みたて」であるが、その400年前にも源氏物語を意識して作られた施設があったと考えて見たい…
承久の乱で力を得た西園寺公経が北山に作った西園寺は別名「北山山荘」とも呼ばれた。なぜ北山なのだろう?宇津保物語で主人公が母親を木の空ろに住まわす北山も、源氏物語で紫の上との出逢いがある「なにがしの寺」の北山も深泥池の北にあたるあたりなことはよく知られている。
平安時代の中期以降の人々にとって北の方とは左京の北であって衣笠山の麓は西の方と意識されていたのではないだろうか?現在では北山というとそのあたりも指すことが多いが公経の北山山荘が由来ともかんがえられる。
ということで妄想しググってみたところ
http://www003.upp.so-net.ne.jp/hata0913/kitayama1.html
なんてページやモロモロがヒットした。どうやら周知のハナシらしい(^_^;
金閣寺も源氏物語ゆかりの地になるのかな?
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