昨日、チト思い立ち光照院へ行ってみた。別にイラスト案内板は期待していなかったがそこが持明院跡と聞いたものでどんな処かと興味が出て…
持明院とはモチロン木原氏の作品中の旧制高等学校の名前ではなく南北朝の遠因とも言える大覚寺統と並び称された持明院統の名の由来となる寺院名。
鎌倉初期の承久の乱後、即位した後堀河天皇の里内裏のあった地とのことでこの地で退位後も院政をここで行い、後深草院の仙洞御所ともなったことから、持明院統の名が起こったとか…
平安時代に藤原基頼の建てた持仏堂が起りとかで、アスニーの平安京模型にもその姿は再現されています。
どうも鎌倉時代の京都というのは文学的には新古今や小倉百人一首・平家物語など院政時代より実りの多い時期だが、史跡などとなると印象が薄い感じが強い。この持明院もクグってみて初めて場所を知った次第(^^)ゞ
新町通上立売上ルという妙顕寺と同志社新町学舎の間のこじんまりとした寺院だが格式は門跡寺院という高いものらしく屋根瓦には十六菊の紋章なども見えた。
行きは地下鉄今出川から行ったが帰路に同志社新町学舎の脇を通るとナニやらプレートが…
守衛の方に許可を貰い撮影してきましたv(^^)
江戸時代のハナシかと思ったら室町時代の近衛邸の旧跡との件でした。
参照:
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/articles/saga3/detail.asp?xml=saga20030606.xml
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