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2006年01月03日15:52

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コミケが始まったキッカケ

75年の夏。「まんがヲタ」なる言葉は勿論まだなく、「まんがマニア」
「漫画青年」と呼ばれる人種がいた。そして彼等/彼女等はCOMで「ま
んがエリート」と言われた選民意識【SFファンダムからの流入もあるか
もしれないが】を持ち、前衛を気取っていた。

また政治の季節は終りと言われていた。でもヘルメット姿の学生はよく
見かけたし、街を歩けば独特のカッティングをされた俗称トロ字体のア
ジビラを貰うことも稀ではなかった。「いちご白書」で《就職が決まっ
て髪を切ったとき》と唄われた頃だった。


72年に始まった「まんが大会」は4回目を迎えようとしていた。その
申し込み書に前回参加した一人の少女が会場警備に当たっていたスタッ
フへの苦言を添え書きしたことから話は始まった。

その申し込み書を読んだスタッフが「じゃあ参加しなくてもいい」と申
し込み金と一緒に送り返した。そんな返金を受けたとき普通なら腹を立
てても、苦情を持っていく先がないのだが彼女には第1回の主催グルー
プの一員であった「レインボーワールド」のS氏という知人がいた
【余談だがこの2人は後に結婚した】そして、そのことを知り憤慨して
いた彼のグループは「まんが大会を告発する会」なる会を結成し、「ま
んが大会」主催者との交渉を持とうとした。

「まんが大会を告発する会」の行動スタイルは当時の新左翼系で多かっ
た「××を糾弾する会」とよく似いてた いや全く同じだった。実は
「まんが大会を告発する会」には元東大全共斗のK氏や京大ブントの
I氏などが加わっていて新左翼的傾向が強かった。

しかし相手は企業や自治体・大学ではなく任意団体だった。首都圏での
アクティブなファンはSFを含めても100人内外の状況だったろう。
以前の「まんが大会」の主催グループに糾弾側のメンバーがいることか
らも狭い社会であったことは推測できよう。

つまり顔見知りの間柄だ。当然糾弾された彼等は困惑した−そして顔見
知りであるからこそ怒った。そして対応策を協議した。彼等も75年当
時に20代の青年−全共斗運動は見聞きし或いは身を投じた世代に属し
ていただから糾弾側の行動予測は簡単に出来た。
「こうすれば、こうくる。ならばこうすればよい」戦略型ゲーム必修の
「3手の読み」ができる。それで前例【教授会】の取ったなかでの
「最善の一手」を指していくことにした

これは後に思わぬ誤算を生む。「まんが大会」のイメージダウンだった。
他に選択肢のない大学に属するか退学するかを迫るなら「最善手」だった
かもしれない。
でも「まんが大会を告発する会」が別イベントを作るとなると…
趣味の世界で好んで「奴等に似たような管理をする」組織のイベントに
行こうとは思わなくなる志向の人種が大半であった
−特に「前衛を気取っていた」人種にとっては…

そして、その年の暮れ 「第1回コミックマーケット」が開催された。
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