織田信長は本当に短気で冷徹だったのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=112&from=diary&id=5289579
太田牛一は息子の小又助が前田家に士官し信長公記は前田家に都合よく改竄された可能性がありルイスフロイスの方が信憑性がある気がする。
信長は私は芸術家肌ではなかったかと思っている
破壊と創造、両方なければ芸術にならない
もしかしたら以外と気さくな反面、気が短いのでなくヒステリー気質があった様に感じる
感じるだけで現実はわからない。
本当に冷徹であれば本能寺の変の様な隙は作らなかった様に思える
案外、人好きだったのかもしれない
歴史はどこまで資料が真実を伝えるかだが
資料は書き手に都合よく書かれている
実は北海道という地名にならなかった可能性が北海道にある
江戸幕府がなくなった後に行き場のない武士のために、土方歳三、榎本武揚、大鳥佳祐と共に北海道を開拓して蝦夷共和国を作ろうとしていた
開陽丸が江差沖で沈没しなければ出来ていた可能性がある
いずれ明治政府と和合はしたろうが、でも歴史の授業でも、維新政府の流れを汲む現政権に不味いから教えない現実もある
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