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2018年07月12日10:54

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井上達夫氏の愚民観論法を批判する

井上達夫東大法哲学教授が「ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰か」なる論考で、護憲派が国民を愚民視しているとなじっている。穴だらけの論理なので批判しておこうと思う。

まず井上氏は言う。

「護憲派論客こそが、まさにこのような愚民観に立って、国民の憲法改正権力の発動を封じ込めてきたことを指摘したのである。彼ら護憲派は、愚民である国民に国民投票などさせたら、ひどいことになるぞ、9条だけが愚民たる国民が軍国主義へと暴走することの歯止めになっているのだ、と主張している。」

なるほど確かに護憲派は、9条をなくすことが軍国主義への暴走を招きかねないと指摘してきた。井上氏はそれをして「国民を愚民視している」と批判するわけだ。軍国主義に暴走すると決めつけているのは、国民のことを愚かだとバカにしているからだ、と。

しかし、「国民が道を誤るかもしれないから、そう簡単に過ちを犯さないように、抑制的な制度設計にしておこう」という発想は、憲法に限らず、制度設計上よく見られる発想である。それをして「愚民観」などとなじるのは、私の感覚でいえば的外れである。

むしろ、自分たちの愚かさを自覚し、自分たちも一時の政治的熱狂や時代の空気に流されて、大きな過ちを犯すかもしれないという問題意識を持つことは、愚民観というより謙虚さの表れではあるまいか。大日本帝国時代の日本人やナチスドイツは、こうした謙虚さとは正反対の優越感を肥大させて道を誤ったのではなかったか。

日本人に限ったことではないが、「軍国主義に暴走する」可能性はどこの国にもある。歴史が証明するところである。その可能性を警戒する態度は、国民を信頼していないとか、愚民観だとかいう情緒的問題とは本質的に別問題である。もしこうした警戒が愚民観でケシカラン、国民を信頼すべきだというのであれば、9条に限らず憲法自体も必要ないだろう。

通常、立憲主義は統治権力への法的制限と説明されるが、井上論法を採用するなら国民主権の下で統治権力を制限することは、主権者たる国民を信頼していないからだという論法も可能になる。そうなると統治権力を制限する憲法はいらないということにもなるだろう。

なんなら、刑法も必要ない。国民を信頼するなら、犯罪や刑罰を定める必要はない。まず賢明な国民は犯罪を犯さないし、万が一犯罪があっても行き過ぎた罰を課すこともない。よって刑法など必要ない。

井上氏の「愚民観」という論理は、こういう馬鹿馬鹿しい結論につながる低レベルな批判である。護憲派が軍国主義への暴走を警戒するのは、事実、歴史上そうした暴走があったからであって、その再発を防ぐ制度的担保として9条を評価しているだけのことである。

その評価の妥当性を争うならともかく、軍国主義を警戒するのは愚民観といった類のレッテル張りは、あまりにもお粗末だ。

井上氏は9条削除論を主張しているが、井上氏の愚民観論法から導かれるのは、憲法削除論だろう。井上氏が改憲論や改憲案を提起するのは自己矛盾である。

井上氏は自身が一般市民を名宛人とした各種書籍を著した理由について、次のように言う。

「国民自身が統治の責任主体として自己を成熟させない限り、日本はまともな立憲民主主義国家になれないという危機感が根底にある」

井上氏の愚民観論法に当てはめるなら、井上氏は国民自身が「統治の責任主体として自己を成熟」させられていないという危機感を持っているということだ。

さらに井上氏は記事の最後にこう呼びかけている。

「私は日本国民に言いたい。左右の政治家・知識人・運動家・ジャーナリスト・タレントたちのこんな嘘に従うのはもうやめよう。9条も米国も、日本と世界の平和を守れない。こんな幻想の保護膜から抜け出て、憲法と安全保障の問題を国民一人一人が自分たちの頭で考え、自分たちの手で立憲民主主義を発展させない限り、日本は自己を守ることも、世界秩序構築において主体的役割を果たすこともできない。国民を愚民視するエリートを信じてはいけない。しかしまた、己の無知に開き直らず、自己を批判し啓発する他者との議論から学び続けよう。そして憲法と現実の矛盾をいかに解決するか、その判断の権限だけでなく責任も国民自身にあることを自覚しよう」

再び井上氏の愚民観論法を採用してみよう。どうやら井上氏は、日本国民は「こんな嘘に従う」人々で、「こんな幻想の保護膜」に包まれており、「国民を愚民視するエリートを信じて」いて、「己の無知に開き直」り、「自己を批判し啓発する他者との議論から学」ぶことができていない存在と思っておられるようだ。

見事なまでの「愚民観」ではなかろうか。

なお、私は井上氏の愚民観論法を根本的に採用していないので、上記に引用した井上氏の主張のうち護憲派批判は共有しないものの、「憲法と安全保障の問題を国民一人一人が自分たちの頭で考え、自分たちの手で立憲民主主義を発展」させることに大いに賛成だし、「己の無知に開き直らず、自己を批判し啓発する他者との議論から学び続けよう。そして憲法と現実の矛盾をいかに解決するか、その判断の権限だけでなく責任も国民自身にあることを自覚しよう」という呼びかけにも大賛成である。

ただ、井上氏の粗雑な愚民観論法を採用するなら、井上氏もまた「愚民観」にお立ちになっていると評さざるを得ないのである。自他で論理を使い分ける東大の法哲学教授というのも困ったものである。
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