mixiユーザー(id:3422736)

2016年05月30日08:35

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これがお前(ら)の声だよ

また例によって他に書く場所がないのでここにメモ書き。
mixiはすっかり廃れたというか、寂しくなったねぇ。
mixiが寂しくなったというのもあるし、その背後には、もう誰もいつぞやのように「日記を書かねば!」「更新せねば!」となっていたあのときの無意味な熱気はもうないということがあるのであって、そのことのほうが本質的に寂しい。
もちろんその復古を希求するつもりはまったくないが、ただ「そんな時代もあったね」と思い出しているのであった。
で、そんな話がしたいわけではなかった。


世の中にはいろんな「声」があって、この場合の「声」というのは音声ではなくて「聞こえてくるもの」のことを指している。
いきなり理解不能の話しかできないが、これはそもそも説明するつもりで書いていないからいいのだ。
メモ書きだ。
音声の中にも聞こえてくる「声」がある場合もあるし、文章・文体の中からも聞こえてくる「声」がある場合もあるし(大江健三郎的に言うと「声/voice」というやつ)、もちろん絵画からも、ダンスからも音楽からも演奏からも、「声」が聞こえてくることはある。
で、その「声」の性質についてなのだが……
この「声」は、自分でそれを出そうとして出せる類のものではない。
じゃあどうすればいい、といって、インチキ自然体ふうにすればいいのかというと、そんなものはもう見るに堪えない無気力なブツが出現するだけなので論外として、相変わらず説明する気がまるでないが、ひとまずこの声は「自分が出す」という発想ではダメなのだ。
人間は、こころのレヴェル、つまり胴体のレヴェル、胴体の中に流れている「流れ」のレヴェル、あるいはひょっとしたら胴体の中に入ってるんじゃないカナーと言いうる何かのレヴェルにおいて、個人個人で孤立していない。
場合によっては、生きているとか死んでいるとかも関係ないかもしれないのだが、面倒くさいのでもちろん説明はしない。
まあ、もし幽霊の存在を仮定するなら、われわれだって幽霊がみっしりと肉の身を着ているだけの存在にすぎない。
幽霊の側からすれば「おいおい、人種差別するな、肉の身も霊だけの身もイーブンだろ?」と言いたくなるはずだ。
とにかくだ。
その「声」とかいう現象のレヴェルにおいては、人は個人個人とかで孤立して存在していないので、その孤立していない事実の中、「ワタシパワー」みたいなもので出力したってどうにもなりませんよ、ということなのだ。
それはたとえば日本海だけ水質を浄化しようとしたって外海とつながっていて孤立していないんだから自分だけキレーになれるわけないじゃん、というようなことである。
そんなわけだから、その「声」の出し方というのは、自分限りに孤立したワタシパワーの発想ではどうにもならない。
どうにもならないというか、感覚として、「やり方がわからん」という状態になるのだ。
やり方がわかるようになるためには、アレだ、

・オレの声が聞きたいというような奴は、この世界に一人もしないし、幽霊を含めても一体もいない

という正しい認識が前提になる。
みんな、チョコレートパフェを食うのに780円は出すのに、僕がウヘヘヘと笑うのを聞くために780円は出してくれない。
それはつまり、「お呼びでない、求められていない」ということだ。
このことを正しく知っておく必要があるし、このことがわかっていないようでは単純に大人として恥ずかしすぎる。
チョコレートパフェ以上の値打ちがある声を持っている人などこの世に一人もいない。
でも、それでも実際に、たとえばジェームスブラウンとかマイケルジャクソンとか、あるいはボブディランでもいいしバディリッチのドラムでもいいのだけれど、「すげえ!」といってLPレコードを買ってしまう「声」の持ち主は実在する。
持ち主というよりは、使い手、というほうが正しいだろうか。
じゃあなぜ、そういった「声」はなぜ存在しうるのかというと、

・優れた「声」は、孤立して機能していないため、表面上「聞く側」の者にとっても、ある種「わたしの声」として響く

という現象があるからだ。あれは聞いている人にとっては、「自分の声だからLPレコードを買おう」となっているのである。
自分の声でないならわざわざレコードで聞いたりしない。壁の薄いマンションで麻雀をしたときなどにわかるように、人間にとって他人の声など「うるせえ」としか感じないものだ。
もちろんここで、事象が孤立していないということなのだから、もう「自分の」というような表現そのものが不適切になるのだが、今ここではメモ書きに使う場合はかまわないだろう。


さてわれわれは自分の年齢を言うときたとえば「二十歳」といって、そのことは「生後二十年です、えへへ」ということを意味するのだが、もし幽霊がいたとしたら、その人は「二十歳」といって、そのことは「死後二十年です、えへへ」ということを意味するだろう。
そうしたいろんな「二十歳」が存在するわけだが、それらのすべてが孤立して存在してはいない。
もちろん隠し持っているアダルトビデオの秘密などは孤立して守られるのだが、そうでないもの、つまり「聞こえてくるもの」みたいなものは、事象が孤立せず発生する。
だから結局どうしたらいいかというと、

・「声」というのは、「わたしの声」であってはならず、通りすがり女の子二十歳の声でなくてはならないし、同時に通りすがり幽霊二十歳の声でもなくてはならない。

ということになる。
幽霊にとっても、「おっ、こいつはオレ様の声だぜ」と聞こえる。
そういう「声」があるのだ。
そんなもんはセンスでなんとかしろ。
センスというのは「感覚」のことだ。
雰囲気とかイメージのことじゃないよ。

で、加えて、次のことも補足として重要。

・女の子であれ幽霊であれ、自分の「声」が遠くまで響くことをよろこばない奴はいない。

一般的に、声はデカいほうが偉いとされる。声が小さい男性は女性から見て「生まれてからキュウリしか食べたことないのかしら」と見えるというのが一般的だ。
で、声がデカいといっても、音波として振幅がデカいだけでは単にうるさいだけなので、この場合の「デカい」というのはスケールの問題なのだ。
つまり、一億人の美少女と一億体の幽霊のかたまりとしてあの世の軽井沢まで響き抜ける声、そういうのがデカくていいねえ、ということになる。

そうして「デカく響くほうがいい」というのはあくまで補足なので、やはり本筋として一番大事なのはこのこと、

・女の子と幽霊とがギッシリいないと逆に「やり方がわからん」となる

ということ。
および、

・孤立していない響きをやらされるから、逆に「わかる」となる

ということになる。
オレがオレの声を出したって何かになるわけがない。
オレがオレの声を出してCDにしてもそのCDを買うのはオレだけである。
当たり前だ。

まあそんなわけなので、みなさんカラオケに行ったときなどは、「これがワタシの声よ」と歌わず、

・「これがあなた(たち)の声よ」

と歌いましょう。
そうすると、まったく別のことが起こる、わけがなく、いつもどおりのカラオケ遊びになるので、ガンガン飲んで酔っ払いましょう。
もし僕の話していることがマジだったとしても、そんなことが出来てたまるか、という話である。
以上、そんなわけで、メモ書きがわりのお話でした。
オレからの話ではなくね。


あなたの九折さんより
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