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2018年07月12日09:47

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赤坂自民亭を支える我々「愚民」

■6増案、今国会成立へ=参院通過、自民強行
(時事通信社 - 07月11日 21:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5196287

自民党が議席を増やしたいがためのお手盛り改革であることは明らかである。よく恥ずかしくないものだと思う。

私は実は議員定数削減という世間のトレンドには、かねてから違和感を持っており、本日記でも何度か主張してきた。TVなどでは消費税増税で国民に負担を課すのであれば、国会議員も身を切るべきだとして、議員定数削減が叫ばれる。説明もなくこの二つがセットになり、議員定数削減=国会議員が身を切ることとされている。

しかし、国政に声を届けるチャンネルが減って「身を切る」ことになるのは、国民であって国会議員ではない。国会議員に身を切らせるなら、シンプルに歳費削減か政党助成金を減らせばいいのである。

国会議員の定数を削減して起こるのは、日本社会の貴族社会化である。ただでさえ2世議員が多いのだ。定数が減れば、ますます2世議員に有利となり、特定の血族が立法権を牛耳ることにつながりかねない。

世間の人々がどうして安直にも国会議員の数が減れば国会議員が身を切ったと思うのか、いつも不思議である。国会議員になる人間は確かに減るだろうが、残った国会議員はますます強い影響力を持つのである。国会議員の地位がさらに魅力を増すことになるだけだ。それも極めて卑俗な魅力である。

もちろん、だからと言って今回のようにあからさまに特定政党にのみ有利に作用するお手盛り定数増が公正だという話にはならない。手続き的にもメディアが災害報道に追われる中のどさくさ紛れ、かつ、法案の登場自体が唐突で国民に考える時間も与えられていないという点で、非常に狡猾なやり口である。

結局のところ、国民が赤坂自民亭を支持している以上、こういう政治の退廃は止めようがないのである。

改憲を巡る議論では、東大の井上達夫氏が護憲派を批判して「上から目線で国民を愚民視している」となじっている(ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰かhttps://ironna.jp/article/8689?p=1)。

しかし、安倍政権に見る道徳的劣化と支持の盤石さを見ると、国民の賢さを信じるよりも、我々は「愚民である」という自覚のほうが重要なのではないかと思えてくる。

それは井上氏が批判するような「上から目線」ではなく、ある種の謙虚さである。そもそも、憲法は統治権力を縛るものであって、それは言い換えれば時代の空気や一時的熱狂があっても、そう簡単には暴走できないように冷静な時代に制度設計しておこうという発想である。

そういう抑制的制度設計を「愚民観」と呼ぶかどうかは、井上氏の感性だろう。だが私としては、安倍政権のような不道徳極まりない政権が長期にわたり存命する程度には、我々国民は「愚か」なのだから、ますますもって憲法によるタガは重要だと思う。

赤坂自民亭のお歴々を支持する国民は本当に賢者だろうか。議員定数削減は本当に正しいトレンドだろうか。いろいろ疑ったほうがいい。賢さとは懐疑の精神に宿るのだと思う。
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