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2018年05月22日10:18

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保護するという事

■クロマグロの資源量、回復傾向に 漁獲枠の拡大検討へ
(朝日新聞デジタル - 05月21日 21:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5120621


生態系のニュースを見るに連れ、事の難しさを感じます。以下そんな所感です。

<「自然に淘汰」される種もあるのでは?>
人間に関係がない時代にも絶滅した種はいくらでもいます。
恐竜などがその最たる例です。可能か否かは別にして、彼らを保護すべきだったのでしょうか。恐らく「保護すべき」という意見は少ないと思います。何故なら、人間は関係がない「自然に淘汰」された種だからです。
それと同様に、人が関係ない若しくは人が自然の中の一種としてしか関わりのない絶滅は、自然に淘汰されるのであり、それを保護する事は逆に自然ではないと思うのです。
もちろん、記事にあるクロマグロの減少は人間の乱獲によるものであり、これに該当しない事は火を見るよりも明らかです。他にも近年クロマグロより深刻な問題とされているウナギも保護されるべき種です。
そう考えると、確かにこれに該当する種など、少ないどころか存在するのかさえ分かりません。ただ、生物の中には自然の内に絶滅する種もあり、それを保護することは「自然」かと言う疑問があるのです。「個体数が減少している=保護」十中八九いえそれ以上、この式は正しいと思うのですが、可能性としては100%正しい訳ではない、その微かな可能性があると思うのです。

<保護は「今と言う生態系」の破壊では?>
生態系は流動的です。
とある種が減少すれば、「減少した数」を自然とした生態系が構築されます。その生態系も流動的であり、デッドラインを割り込んだ種は絶滅への一途を辿ります。ですが、それもまたその時の生態系なのだと思います。
現在社会における絶滅危惧種の殆どが、その減少の理由が人間のせいであるとされ「絶滅への一途」を食い止めるために保護しようとしています。
ですが、デッドラインを割り込んだ種がいた場合、自然はその種が「絶滅への一途を辿るものとして生態系が構築されるのではないでしょうか。例えば、生態系ピラミッドの中でその種と同じ位置にいる種が増えピラミッドそのものは変わらないようになるとか、捕食される側の生殖活動がやや抑えられピラミッドそのものがやや小さくなるとか。
つまり、流動していく生態系にとって、人間が不自然に保護するという事は、「自然な流動」を「不自然な流動」に変えてしまっているのではないでしょうか。
もちろん、「不自然な流動」を受けた生態系は、またそれを自然なものとして組み込み新たに流動していくわけですが。

<人間の英知が及ばない「自然のリンク」>
今まで「生態系」という観点からの所感を書きましたが、自然界へと視点を広げればもっと複雑に様々な事が絡み合っているように思えます。
例えば、地球温暖化や異常気象について、ヒートアイランド・森林伐採・人間が排出するCO2が主な原因とされています。しかし、もしかしたら生態系の歪みに因り、植物の数や光合成活動に異常が出ていたり、植物性プランクトン減少で海中の酸素が減少していたりと言った事も要因かもしれません。
また、例えば何らかの自然現象が人間の何かしら事業にマイナスの影響を及ぼすとしても、それはそれに対策を講じるべきではなく受け入れるべきなのかもしれません。何故ならそれは、自然と言うサイクルが営まれる中で発生する自然な事であり、人間にとってマイナスしかないマイナスの影響が大きい事であっても、自然と言うサイクルにとっては恩恵があるからです。

<そうは言っても人間も「自然」>
そもそも、人間が行う「保護」は、自らが絶滅危惧に追い込んでしまったという「罪悪感」か自らの生活に役立つ種である「必要性」故であり、それそのものがエゴだと思います。
ですが、その人間と言う存在もまた「自然」な訳です。
無神論者と言う訳ではありませんが、人間も「自然の生態系」の中から生まれた種です。その種が起こす所業は所詮「自然」の範囲内なのかな、とも思います。
つまり、人間が何をしてその為に地球上の生物がどうなろうが、地球やましてや宇宙と言う観点から見れば全て「些細な事」「自然な事」なのかもしれません。
そう考えると、何かを「保護」する事は確かに人間のエゴですが、それはそれでいいのかもしれません。
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