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2018年05月15日23:57

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5月15日

藤原、とネームプレートに書いてあるので、ぼくはその人のことをふじわらさんと呼ぶ。そうすると彼女も振り返って、返事をしてくれる。一緒に仕事をするようになって3年くらいになる。でも、ふとした場面で、彼女が自身を、ふじはら、と名乗ったことがあった。ぼくはそれを聞き逃さなかった。そのあとぼくは、その人と二人きりになるのを待って、事情を聞いてみた。本当はふじわらではなく、ふじはらなんですね、と。すると彼女はあっけらかんと笑ってみせ、実はわたしはふじはらなんです、と認めた。
 わたしは、ふじわらと呼ばれることが日に何度もあるの。でも、それについて、いちいち訂正を促していくのはとても骨が折れることだわ。だから、ふじわらという言葉も、わたしの守備範囲に転がってきたボールとして対処することにしているの。わたしからすれば、ふじはらでもふじわらでもどちらでも構わないのよ。もっと正直にいうと、迷惑に思っているくらいよ。彼女は、言い慣れたようにすらすらと並べ立てた。
でも、とぼくは言う。そのふじはらという名字は、君のご先祖さまから代々受け継がれてきた、代わりのきかない大切なものなんじゃないかな。藤原だなんてまさにそうだけど、血しぶきの戦乱を命からがらつなげてきたバトンのように思うけどな。それをどっちでもいいやって言われたら先祖はびっくりするかもしれないよ。わ、には、は、じゃない理由が。は、には、わ、じゃない理由が、長い歴史にしかわからない形で存在してるんじゃないかな。
 ぼくが言うと、彼女はうるさい死ねといってドアを出ていってしまった。するどい目の奥でかつての戦火がひるがえった気がして、ぼくは、わ、と思った。でもぼくとしては彼女がてきとうな生返事をすることよりも、読み方を間違えるというぼくの無礼について、ご先祖さまがどういった 感想を持つのかが気になるところだ。その一文字にはぼくたちの知りえない重たい過去があるかもしれず、けっこう慎重に扱わなければならないことだと思ったりする。
そう考えてみると、身近にもう一件あることに気づいた。河野さんは、こうの、なのか、かわの、なのか。現在ぼくは、こうのさん、と少しの疑いもなく呼んでいる。彼も返事をかえしてくれる。でも、本当のことはわからない。藤原さんと同様のあきらめ方をして、ため息をついているかもしれないのだ。河野さんに会って真実をたしかめる必要がある。それはできるだけ早い方がいい。もしかすると、河野さんの後ろに続く果てしない列のどこかで、だれかを怒らせているかもしれないから。
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