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2018年04月16日06:38

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中学生日記 1959年(昭和34年)ジャー・ヒロ

1月21日(水)

 きょうは朝っぱらから、かぜ気味である。本当を言うと、きのうからずっと続いている、はなカゼである。たいそうの時は、暴れていたので、あまり感じないが、じっとしていると、やはり身にこたえるようだ。

 きょうは休もうと思っていたが、とうとう学校に行った。行ってしまうと帰れないので、そのまま居続けて、今まで持ちこたえたのである。しかし明日の具合をみないと、かぜの具合は中々分らないものである。

 きょう5時間目に理科があった。ぼくは宿題だった、家庭の電気器具のワット数をしらべるのを忘れていた。先生が聞かないのでホッとした。今気がついたのだが、先生が怖くなった。


 1月22日(木)

 きょう一時間目は、本当は英語の時間であったが、近藤先生が休んだため、特教であった。このこと自体はいいのだ。それは、この時間には試験があるはずであったからである。しかし、その監視の先生がイカレてる田中先生なので、また、たいくつするからイヤになった。するとやっぱり田中先生は、ほんとは自習なのに、自分の受持ち講習の社会をやり始めた。ぼくたちは自習して数学をやりたかったので抗議した。しかし先生は負けない。だけど、やるなら、こちらもやらないと、本をしまいかけると、先生はまたざつだんをし出した。せっかく本をしまい、社会だけをやろうと思ったのに、またのばしてしまった。だから、田中先生はほんとにパーである。


 1月23日(金)

 きょうの昼やすみに、校庭で2年6組の友だちとスモウをやった。きのうは米倉君に「首投げ」であざやかに勝ったが、きょうは手のうちを知られてしまったので、彼にも苦戦した。しかたがないので、ぼくは少し荒りょうじをした。それは組むのをやめて、突っぱりをたくさん行うことである。これをやると、ぼくはだれにも負けず無敵であった。

 きょうテレビでスモウ(13日目)を見ていると、無敗をほこっていた若乃花が、時津山に敗れた。この一番は時津山の善戦で勝ったが、この時の時津山は、まことにすさまじいものがあったのである。若乃花が振りまわされて投げ倒されたときには、ぼくはびっくりして、口もきけなかったくらいで、さすがに若乃花は苦笑していた。


 1月24日(土)

 きょうの放課後に、体育の時間に体育館で体そうをする時に使うダンスシューズを買いに、体育館へ行った。すると体育館は全校の生徒、1〜3年が来ていて、まるでイモでも洗っているような騒がしさである。ぼくもその中にまじって、ぼくの靴をさがしたが、ぼくの足は11文で、どうしても見つからなかった。先生に聞いてみると、10,5文以上の靴は、来週の火曜日でないと来ないということであった。ぼくはしょうがないので帰ったが、みんなはいっしょうけんめい買うのに夢中であった。

 それから、きょうの1時間目は理科があった。この白石先生の理科は好きなので、ぼくは今日を楽しみにしていた。きょうの理科は、抵抗、電流、電圧についての話をしたが、ぼくはあんがい面白かった。


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