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2018年04月08日08:23

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 【質問】 毛沢東暗殺共謀事件とは?

 【質問 kérdés】
 毛沢東暗殺共謀事件とは?

 【回答 válasz】
 1950.9.28,3日後の10月1日に天安門広場で開催される国慶節の式典で毛沢東ら中国共産党政府首脳を迫撃砲で暗殺しようとする陰謀があったとして,北京市在住の
「日洲産業」北京代理人・山口隆一(当時47歳)
ウォルター社の北京駐在員・アントニオ・リーヴァ(イタリア人,56)
ジャーディン・マセソン社員グエリノ・ガルリオ(56)
ボッシュ社社員ウォルター・ゲントナー(ドイツ人,52)
義和洋行社員・馬新清(31)
を逮捕した事件.

 中国当局によれば,山口らはアメリカOSSのスパイ工作に関係していたが,彼らは共謀して天安門広場を迫撃砲で砲撃する計画を立てた.
 7月頃,山口は天安門においてスケッチを描き,砲弾の弾道を検討した.
 リーヴァ,山口,ゲントナーが住む甘雨胡同は直線距離で天安門まで直線距離で2000m,ガルリオ家からは500mであり,それらのうちのどこかから迫撃砲を発射する算段だった.
 砲は武器商人のリーヴァが密かに持ち込み,リーヴァ家の物置と,後述のマルチーニの教会とに分散して隠匿していた.

 かねてから内定を続けていた当局は9.28,5人を一斉逮捕.
 さらに翌5月には,
カトリック司教タルシチオ・マルチーニ(65)
フランス書店店主・アンリ・ヴェッチ(52)
を逮捕した.
 家宅捜索により,リーヴァの家からは書類525件,拳銃,青酸カリ2包,そして迫撃砲を押収.
 山口宅では上述の天安門砲撃見取り図スケッチ,リーヴァを経由してOSSに渡った情報草稿48件など,
マルチーニの教会からは迫撃砲部品,手榴弾8個,銃砲弾259発を押収した.
 この部品はリーヴァ宅から押収した迫撃砲から外されていたものだった.

 山口は最初,容疑を全て否認していたが,見取り図を突き付けて尋問した結果,1951.1.20にようやく全面自供.
 同年8.9,一味は起訴され,同月17日,軍事法廷において判決が下った.

山口隆一 死刑
アントニオ・リーヴァ 死刑
タルシチオ・マルチーニ  終身刑
アンリ・ヴェッチ 10年
馬新清 9年
グエリノ・ガルリオ 6年
ウォルター・ゲントナー 5年

 山口とリーヴァは北京の天橋刑場において,判決後ただちに銃殺刑に処せられた.

 …と,ここまで述べてきた「事件概要」は,でっち上げである可能性が非常に高い.

 山口が事件に関係したとされる最大の証拠である「見取り図」だが,山口の関係者によれば,北京の消防署が日本から購入した消防ポンプ車の放水の様子を書いたものだという.
 山口は当時,日洲産業に対し,消防車の売り込みに成功した旨を報告している.
 また,当時の中国の新聞に,このスケッチは「共謀の証拠」として掲載されているのだが,これには日本語で
「日洲納入ポンプはこの屋根を超えます」
「今までの水ではこのあたりまで」
とメモ書きされているのが見える.

 当時,北京に残留していた数少ない日本人の一人である,三菱鉱業出身者の技術者・山本市朗が,1980年に書いた回想記によると,北京市公安局生産科に属する機械工場で,手作りの消防ポンプ車を半年かけて50年5月末に完成させ,天安門広場において日本から輸入されたポンプ車で放水された話が出てくる.
 山本は山口たちとは面識がなかったらしく,
「どういう経路で入ってきたのか知らないが,とにかく正規の輸入手続きを経て日本から戦後初めて輸入された消防自動車」
とあり,時期的に見てもこの輸入車が日洲産業のポンプ車だったことは間違いない.

 リーヴァの迫撃砲についてはその夫人によれば,
「20年前に蒋介石に売り込んだ見本で,旧式の使用に堪えぬもの」
だったという.
  リーヴァは天津市生まれで,イタリア空軍学校を卒業し,中華民国国軍航空隊の飛行指導をした経歴があり,その後,武器商をしていた.

 なぜ,欠けていた迫撃砲部品が教会から出てきたのかは不明だが,当時,中国共産党中央は,
「掃家逐客」(客を追い出し,家を掃除する)
という指示を出しており,北京市当局ではそれに基づいて全市的に「帝国主義間諜打倒工作」を展開.
 駐留していた外国人を34人逮捕,749人を国外追放にしていた.
 中でも1951〜53年にはカトリック教会が最大のターゲットにされていた.

 2008年には,北京特派員のイタリア人女性がリーヴァの足跡をたどった
『毛沢東を殺さねばならなかった男』
と題する本を出版.
 この本には,
「リーヴァの件は大部分,我々が捏造したものだ.
 もしリーヴァが存在しなかったら,我々は別の人間を見つけていただろう.
 そしてよくできたアメリカの陰謀説をでっち上げていただろう」
という中国公安幹部の告白が出ているという.

 多少なりとも事実に近いと言えるのは,山口らとOSSとの関係だが,これは単に公開情報を渡していたに過ぎないと見られる.
 判決文の中に,その内容についての言及は全くない.

 その後,中国では1950年代,この事件は国民党特務の仕業ということに話が変えられ,そのストーリーで映画化されている.
 OSSはどこに行ったのだろう?(苦笑)

 日本国内には,ほんのちょっとした疑問点さえあればすぐに死刑囚の再審請求を出したがる組織があるが,当方の知る限り,その類の組織が山口隆一の事件の再審を請求したという話は聞かない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
秦郁彦『昭和史の秘話を追う』(PHP研究所,2012), p.252-283

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