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2018年03月14日01:50

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【1】今週の図書館カフェは、熊野—和歌山〜イスラム—トルコの流れです。

今週の図書館カフェは、熊野—和歌山〜イスラム—トルコの流れです。
11日に図書館カフェでの会に、【熊野】在住の方と【中近東のイスラム諸国】でお仕事されていた方が参加されていました。
その最中にシャーマンの岩さんから電話があり、トルコに行ってきたから、14日に『スーフィーのメッカ:トルコ訪問話&ミニワーク』をしようという話になりました。
https://ameblo.jp/skmhirai/entry-12359782231.html
私と岩さんが初めて出会ったのも【10年前の3月】の【熊野】で、その時、本州最南端の地:和歌山県【串本町】にも行きました。
実は、この串本町での事件がトルコの友好関係を築いたのです。
128年前(1890年(明治23年))の9月16日夜半に、和歌山県串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦:エルトゥールル号の遭難事故が起こり、500名以上の犠牲者を出しましたが、当時の日本人が身の危険を顧みず、猛烈な台風の中、トルコ乗組員を必死で救助したことがあります。
この事件があって、串本町とトルコのヤカケント町、メルスィン市は姉妹都市になり、樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑及びトルコ記念館が建っています。

この事件によって大きく心を動かされた【山田寅次郎】は「この俺に何かできることはないだろうか?」と新聞社に働きかけ、全国を巡って演説会を開き、トルコ使節団遺族への義援金の寄付金集めをし、2700万円(現在の価値)もの寄付金を集め、彼はそのお金を持って、一人でトルコへ行き、オスマン帝国皇帝:アブデュルハミト2世に義援金を渡し、深く感謝されたそうです。
彼はトルコ皇帝に帰国を引き止められて、トルコの士官学校で、日本語と日本についてを教えることになりました。
後に、オスマン帝国からトルコ共和国に移行し、新しい国作りをする時に、建国の父:初代大統領【ケマル・アタチュルク】も、彼の精神を支えにし、また、近代化に成功し、日露戦争に勝った明治天皇をこよなく崇拝し、「日本を見習え!」とよく発言していたと言われ、近代化政策を進めたようです。
また、トルコの小学校では、トルコ人にとって大切な存在の『山田寅次郎』について勉強するそうです。

イラン・イラク戦争中の1985年3月、大統領サダム・フセインが「今から40時間後をタイムリミットとしてこれ以降終戦までの間イラン上空を飛ぶ航空機は軍用機であろうと民間航空機であろうといかなる国の機体であろうとすべて撃墜する」という布告をした時、216名の日本人がイランの空港に取り残されてしまいました。
イランのトルコ大使が「あの時の恩を返す時が来た」と言って、タイムリミット僅か1時間15分前にトルコ領空へ216名の日本人全員を退避させました。
私達日本人ですら忘れていたことを、小学校教育もあるとは思いますが、トルコの方々は100年近く経っても、日本に対する恩を胸に留め続けているのです。

また、日本各地で「ワールドカップフィーバー」が巻き起こった2002年の日韓サッカーワールドカップで、【3位】になったトルコ代表がユニホームを串本町に寄贈したそうです。
この大会では、日本人女性の間で、イケメンのトルコ代表の【イルハン・マンスズ】やデビッド・ベッカム(イングランド代表)に注目が集まって熱狂的なブームが巻き起こりましたが、この大会(6/18)のベスト16で、宮城スタジアムで、日本とトルコが対戦し、0 - 1でトルコが勝ちました。
サッカーだと、私と同郷(愛媛県西条市)のプロサッカー選手【長友 佑都】さんは(日本代表のサイドバック)は、今年1月末からトルコの名門【ガラタサライ】SK(本拠地:イスタンブール)所属です。
彼は出場機会を求め、イタリアのインテルからガラタサライへ期限付き移籍し、すぐ活躍し、トルコでも「ラスト・サムライ」として人気を集めているようです。
長友選手も居心地が良さそうで、インテルからガラタサライへ完全移籍を考えているようです。

このように、トルコはとても【親日的】なのです。
トルコ国内では毎日のように日本に関する報道があり、「世界で一番好きな国は?」という世論調査では、いつも日本が1位になるといいます。
私達日本人はトルコのことをあまり知らないと思いますが、
面積は日本の約2倍、人口は日本の半分強の国で、国民の98%がイスラム教スンナ派を信仰しています。
トルコの国土は95% がアジアのアナトリア半島にあり、人口でもアジア側が9割弱を占めていますが、トルコ政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としていて、経済的・政治的・スポーツ的(サッカー協会やオリンピック委員会)にもヨーロッパの一員として参加し、コペンハーゲン基準でもヨーロッパに分類されています。
ケバブの一種のドネルケバブはトルコ料理の中でも最もポピュラーな料理の一つです。

現在のトルコ共和国はイスラム圏に属していますが、国土の中心となっているアナトリア地域は世界的にも歴史の古い地域で、その歴史を見ると、メソポタミア文明やノアの箱舟など、歴史やコーラン・聖書で習うようなまだ発見・解明されていない歴史がたくさんあります。
紀元前18世紀に建国され、鉄器を世界で最初に使用したインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト王国等の古代オリエント文明、古代ギリシアローマ文明、ビザンティン文化、イスラム文化などが栄え、多様な地域です。
また、トルコ最大の都市:【イスタンブール】はローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有な都市です。
さらに近代においては、イスラム圏では世俗主義の近代国家の建設をいち早く行なったことが注目されています。
日本もトルコも共に【近代化】には成功したのですが、両国とも精神性は崩壊したのかもしれません?
(続く)

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