ホーキングさんが亡くなられたそうだ。
と
一昨日くらいに友人にきいた。
なんか遺構があったらしく、新しいこと書いているんじゃないかと。。。楽しみだね〜
と。
となったのだけれど、
まだ生きておられたことに、逆に驚いた。
おいくつだったの?
と
きくと
72、3?
ほぅうう
年をとっているのか、そうでないのかよくわからなかった。
学生の頃、なぜか自分は
このホーキングさんのケンブリッジ大学での授業を何かの音源から手に入れて熱心に、わからないのに、きいていたことがあった。
この頃はもう、機械音の声というか、特殊な装置を通して声をスピーカーで出していた。
わからないのに、ワクワクしながらきいていた。
全くわからないのに、くりかえすが、きいていた、そして、とてもたのしかった。
というか、
いま思えば、あれはなんだったのだろう?!
どこでどう手にいれて、聞いていたのだろう?!
不思議だ。。。。
まぁ、
うろ覚えだけれども
ケンブリッジ大学の物理学の教授の椅子は、アイザックニュートン(さん)に始まって、ホーキングさんと、覚えていて、その間に腰掛けられた方々も他にそうそうたるメンバーだったので、「果てしないな」と感嘆させられた。
ホーキングさんは、17歳で(オックスフォード)大学に入り、で「すごいなぁ〜!」と思っていたが、後にそういう17歳で大学に入り20歳で博士号を取った、ホーキングさんに劣らず天才たちとご一緒させてもらうとは自分も当時は思ってもいなかったので、17歳で大学に入った事実に本当に途方もないものを感じたのを覚えている。
うろ覚えばかりだが、ホーキングさんも数学科と物理学科を迷って、物理学科に入ったような、逆だったような、どっちだったかな。。。
物理学をやるといっても、数学を多く使うと言っても、数学を得意とされない方は多いと思う。 本質的にとまでは言わないが、数学と物理学は、結構違う。
自分の中では、数学の方がもう少し知性を求められる気がするが、専門に入ってしまえば、どうでもいいことでもある気がしないでもない。
とりあえず、ホーキングさんは、数学にも、もちろんすごく長けていた。
自分も数学を多く使ってきたのだけれども、ある日、究極の次元というか、なんかバンと扉が開いたときがあって、そこからは、なんというか宇宙空間が広がったというか、もうどこに行けばいいのかわからない広大ものが広がっていて、
「数学者たちと話が合わないはずだよなぁ〜」 見てる話してる次元がどうも全く異次元としか思えない「あんたいったいどこからきたん?!」と問いたくなるようなことも多く、苦悩したことも多かった「?」の世界を一回だけ体験させてもらったことがあって、
「話が合わないんじゃなくて、話してる次元が違う、自分たちが知ってるこの宇宙のものではない」くらいな、噛み合わなさ。。。を「なるほど。こういうことか、しかし、この人たちは、この空間を泳いで楽しめているんだなぁ」と思ったことがあった。
というか、思えたときがあった。
しかし、物理学者の話はわからなくても、なんかわかるのだ。 というか、なんかいつも響くものがあった。 たぶん、そういうのりで、ホーキングさんの話をわからなくてもきいていたのかもしれない。
そして、その程度の関わりが、また大きく後々に自分のライフワークになっていくとはつゆ知らず、人生とは全くしておもしろい。
話戻って、ホーキングさん
17歳の頃は、まだご健康で普通の学生だったそうだ。
自分はもう車椅子にのったホーキングさんしか知らなかったので、身体は壮絶な変化をご経験されたことになる。
ホーキングさんと、ニュートンさん、時代は違えど、同じ椅子の後輩と先輩、しかも天才ときて、ご性格もそれぞれ逸話や伝説、いろいろあれど、結構にている。
自分も数学者たちとの時間が長かったので、なんとなくわかる。 凡人の自分からしたら、見えてる世界が全く違うのだから、非凡の方々の常識というのも、凡人の私なんかとは違うので、凡人の世界からみれば
「なんでぇ〜!?! もっとやさしくして〜言って〜わから〜ん」
には、なるとは思う。
まぁ、そういうところもあった、人間とはそういうものも持ち合わせていて、喜怒哀楽あって、天才も人間なんだなぁと思わされるエピソードをたくさん持ち合わせていらっしゃったらしい。
しかし、ケンブリッジの授業というか、自分が聴いた授業のホーキングさんは愛に溢れいた。 寛容で、やさしく、わかりやすく、なんか話してることはめっちゃ難しいことなんだけど、宇宙のことなんだけど、それがあたかも自分が飼ってるペットの羊について話してる
感じで、「こいつこうやね〜ん」みたいな愛着溢れる感じだった。 だから、何回も何日もきいていたのかもしれない。
天才でも間違える。 それが専門であっても間違える。
アンシュタインさんも間違えた。 同じように、ホーキングさんも間違えた。
他の天才たちも間違える。
そして、正しいことも多い。 というか、そんなもんだ。
だから、鵜呑みにはしない。
なるほど、この人はいまこう考えているんだ。
くらい。
ま、成長したな。
以前は、正しさまっしぐらだったけど、それは自分が未熟だったからだ。
だから、天才たちとご一緒させてもらってありがたかったのは、自分の未熟さを、天才たちの未熟さ、未熟な部分は未熟だと、よく理解させてもらえたことだ。
天才もたくさんいる。 世の中全体でみると、少ないが、天才を集めると、その天才の中でもぴんきりあるし、専門の中でもそれぞれだし、幼いころは天才は世の中に数人と思っていたが、案外けっこうな数でいる。
間違っていることを楽しめる科学者達にあうと、自分のテンションはあがる。 天才とか以上に、壮大さを感じるし「いいね!いいね!」と楽しくなる。 自分が正しいというのは、その枠組みの中だけでしか、もう考えられないからで、間違っていることをみとめられるのはその枠組みを広げようとする意思もあるので、広がる。
というか、宇宙を語る上での誤差は果てしない。
ホーキングさんは、理論家だったのだ。 理論家の醍醐味は、その想像力、というかなんというか、実践者達の道先案内人というか、見えてないものを見せて地図を描いたりしてくれる役割というか、なんだろうなぁ
これは、自分の中では、やっぱりかなり特別な能力がないとできない領域、しかも宇宙という広大なもの、でも、ミクロの世界の微小なものでも、頭の中だけで、それをみていくのだから、果てしない。
実践者達だって、やりながら間違って修正してやっていくのだし、理論家もやりつつ間違って修正していく。 とかなんとか、話がぐちゃぐちゃになってきた。。。。
最後に自分が好きなホーキングさんの言葉
自由意志について「全てが運命で決まっていて、何も変えることはできないと主張する人でさえ、道路を渡るときには左右を確認する」
健康について
「初めてALSと診断された時、余命は2年だっだ。45年後の今、私はかなり元気だ」
また宇宙人生の帯のどこかでお逢いさせていただきたい。
ご冥福をお祈りいたします。
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