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2018年02月07日22:47

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【きっとある】新たな「理想の」経済モデルとは



経済学では「厚生経済学の基本定理を満たす市場」すなわち「完全競争市場」であれば、市場は最も効率的、すなわち生産できる能力を最大限生かし、かつ、格差も広がらないという状態になります。


しかし、実際は完全競争市場は実現不可能です。情報の対称性、嫉妬を抱かず、未来永劫まで将来可能性を予測できる超合理的な個人と企業。


そんな状態を目指すことのほうが「非合理的」です。
しかし楽観的で短慮な私は、「それでも完全競争市場の妨げになるものを避けていくような姿勢が、経済学的に正しい姿勢だ」と信じていました。


最終的に完全競争市場にはなれなくても、完全競争市場に存在する「見えざる手」の思想はそれほど強力なのです。

※見えざる手…生産者は高い製品を志向し、消費者は安い製品を志向するから、市場は自然と調和する価格と生産量となるよう調整能力があるとする思想。


でもそれは、経済学を歴史的な視点から眺めた際にのみいえる視点だと、今では思います。
経済学は社会主義と対比して、競争原理を採用する資本主義の優位性を説いています。

それは本当にその通り。
中央政府が生産管理するより、市場経済のほうが全く優れている。


でも、人類の長い歴史を見ていると、社会主義は非常に特殊で短期的な現象でしかなかった。
そう考えるとケインズやハイエク、フリードマン、サミュエルソン…多くの社会主義と戦い、市場経済の優位性を説いた経済学者は社会主義という一時的なブームと戦っていただけでしかなかった…とみることもできる。


長い歴史上、ず〜っと貨幣と商品を各個人間で自由に交換し合うというシステムは生き続けていた。市場経済はすでにそこにあるもので、わざわざその素晴らしさを説かれなくても自然とみんなが市場経済を採用する。

そして彼らはその究極の姿が優れていることの数学的証明をしただけだった…




以上のことを考えると、先ほど言及した「完全競争市場の妨げになるものを避けていくような姿勢が、経済学的に正しい姿勢だ」ということの真意性が問われることになります。


上記の言説は、あくまでも「社会主義と対比して」という意味です。
しかし、社会主義が特殊で短期的なブームであり、比較対象から排除できるのであれば、上記の言説は比較対象を失い、意味のないものとなってしまいます。


ここに、「理想的な経済モデルの喪失」があります。
現実レベルでは、「社会主義的思想のものを排除する際の論理」として使えます。
例えば診療報酬や介護報酬などの公定価格。
介護報酬が国によってきめられている…あまりお金を国が支払いたくないから報酬を低く抑えているせいで、介護人材の需要は非常に高いのに供給が絞られている状況にある。
これに論理的な攻撃を仕掛ける際には完全競争市場の論理は強力です。



ただ、これをより巨視的にしたときに、つまり、一国の経済をどのようにしていくのが良いのか、を考えたときに、方向性がつかめないわけです。


え?そのまま完全競争市場に近づけていけばいいんじゃないの?
という疑問が生まれるかと思いますが、そうではないのです。

が、それは長くなるので次回。笑


【ポイント】
○経済学的にベストなモデルは「完全競争市場」。でも、それを実現するのは不可能
○でも、これまでは社会主義に対比して「完全競争市場に近い市場」に近づけていくのが経済学的に正しい姿勢だった
○しかし、社会主義は超特殊な思想であり、ブームが終わった今、その言説は今ふわふわと浮いてしまっている
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