【質問 kérdés】
ハンガリー戦車道の歴史を述べよ(3点)
【回答 válasz】
ハンガリー戦車道の起源は,1920年のトリアノン条約まで遡る.
この条約により,軍備としての戦車の保有を禁じられたハンガリーは,あの手この手で条約の抜け道を探し求めた.
一つは国家憲兵隊による「警察用装甲車」の保有.
一つはスウェーデンやイタリアからの,農業用トラクター名義での密輸入.
最後の一つが,高等教育機関におけるモーター・スポーツという名目による,模型戦車を用いた戦車の運用研究だった.
後に「キンダーパンツァー kinderpanzer」と呼ばれるようになるそれは,本物の戦車のスケール・ダウン模型で,初期のそれは装甲もないどころか合板製.
動力は電動,または自転車のような足漕ぎだった.
参考までに,第二次大戦後の東ドイツの例を,以下の動画に見ることができる.
https://www.youtube.com/watch?v=h9fpNcnlNIk&t=5s
しかし再軍備の動きが水面下で活発になると,実弾を発砲できない以外は,サイズも装甲も動力も本物の戦車に近づいていった.
そればかりか,密輸されたLK-IIやフィアット3000B等の本物の戦車も,当時既に旧式化していたので,フランツ=リスト・テクノ専門学校,コルヴィヌス経済大学,キニジ・パール国防大学,そして世界最古の工科大学であるマリア・テレジア工科大学などにあった戦車道クラブに払い下げられている.
(学校名は全て仮名)
ただ,本物の国軍でさえ戦車戦力が貧弱な国情下では,必然的に戦車道クラブの戦車戦力もそれ以下であり,世界恐慌による経済的打撃とも相まって,各クラブとも数の上の主力は依然として足漕ぎの一人乗りベニヤ板戦車.
その中に菱形戦車かタンケッテが1〜2両混ざっていれば御の字だった.
これでは世界各国の強豪クラブとの互角な戦いは到底望めない.
そこで各クラブとも戦車対戦車で正面からぶつかることを避け,奇襲や夜襲での戦いを主たる戦術とするようになった.
戦車は主として装備・人員の運搬車としての役割を果たし,搭乗員は戦闘工兵さながらに地雷や路肩爆弾を設置.
あるいは樹木や建物の上から火炎瓶を投擲しては,すぐに姿をくらますというヒット・エンド・ランに徹した.
夜襲をかけて敵戦車を奪う,敵戦車の燃料タンクに砂糖をぶち込む,ガソリン缶をこっそり軽油缶ととりかえる,戦車砲の砲口から砲弾をさかまさに突っ込んでおく等は常套手段.
地下鉄入り口を落とし穴代わりとして使う戦術や,石畳に絹布を敷き,その上に石鹸水を散布して敵戦車を滑らせ,操縦不能になった敵戦車同士を衝突させる等の戦術も開発された.
ハンガリー戦車道が独特であると言われるのは,このように戦車道クラブでありながら対戦車道を駆使した戦いを行うためである.
第二次大戦後,ラーコシ首班の共産主義政権となると,教育制度もソ連のものが輸入された.
スターリンのやることは全て忠実に真似るのが,ラーコシらスターリン主義者のやりかただった.
ソ連のピオニール,コムソモールと同様の少年団が組織され,子供たちはそこで軍事教練を受け,「西欧を憎み,米国との闘いに命を捧げる」と誓った子供達には,特別課目(手製ガソリン爆弾による米国戦車破壊法)が教え込まれた.
かくて,ますます対戦車道に磨きがかかる一方,戦車道クラブは戦前と大差ない状況が続いた.
ソ連はハンガリーを信用していなかったため,ハンガリー国軍すらまだ装備はT-34が主力だった.
また,戦前戦中の全てを否定する共産主義政権にとっては,戦時中のハンガリー戦車,トルディ,トゥラーンなどを戦車道クラブが保有するなどもっての外だった.
ラーコシの失政による経済的打撃とも相まって,各クラブとも数の上の主力は依然として足漕ぎの一人乗りベニヤ板戦車.
その中にBT戦車かT-70戦車が1〜2両混ざっていれば御の字だった.
これでは世界各国の強豪クラブとの互角な戦いは到底望めない.
そこで各クラブとも戦車対戦車で正面からぶつかることを避け,(以下同文)
そのハンガリー流戦車道の実力がいかんなく発揮されたのが,ハンガリー1956年革命(ハンガリー動乱)である.
学生たちはブダペシュトの市街戦において,数多くのソ連軍T-34戦車を撃破した.
(さすがにT-54の大群には歯が立たなかったが)
ソ連流の少年団での軍事教練が,ソ連戦車撃破に役立ったとは皮肉な話である.
その後,社会の締め付けは幾分緩和され,各戦車道クラブはトルディ,トゥラーンなどを保有できるようになった.
冷戦後は,実際の第二次大戦中の王国軍の保有割合以上に,各クラブにおけるそれら戦車の占める割合が多くなっている.
(大戦中,数の上ではCV-35がハンガリー軍の主力だった)
今日では,ストラウスラーV-4水陸両用戦車(ブダペシュト・ホンヴェードHK Budapest Honvéd Harckocsi Klub 所属)やタシュ重戦車(パクシMSE Paksi Motorsportegyesület 等が保有)など,大戦中には実戦配備されることのなかった車輌を装備しているクラブも見られる.
しかし,火力ではやはり各国の強豪クラブにかなわない.
そこで各クラブとも戦車対戦車で正面からぶつかることを避け,(以下同文)
中でも,敵校の戦車の中にT-34などあると,
「戦車狩りじゃああああ!」
などと士気が大いに高揚する様子が,youtube動画などからも見て取れる.
サイドカーに対戦車ライフルを搭載した対戦車バイクを主力とする,些か本末転倒気味のクラブ・チーム「アッチラ Miskolci Attila Kör 」さえ存在する.
ちなみに,日本語に「サシで勝負」という言葉があるが,これは「T-34(サシ)1台に対して人間1人が,1対1で勝負をつける」ハンガリー流戦車道が,日本に伝わると共に広まった言葉である.
【参考ページ Referencia Oldal】
吉川和馬・斎木楠生・長万部(おしゃまんべ)いなさく他編『世界の対戦車拳』(民明書房,1998)
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