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2018年04月06日22:51

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時代錯誤

相撲のニュース(看護のため土俵に上がった女性に対するアナウンス)をみて、仏典のあるエピソードを思い出しました。それは、「ある人が毒矢で射られたので、みんなが心配して急いで医者を呼んできて、医者がまず矢を抜こうとしたら、その男が叫んだ。『この矢はどういう人が射たのか、どんな氏名の人か、背の高い人か低い人か、町の人か村の人か、これらのことがわかるまではこの矢を抜いてはならない。私はまずそれを知りたい』というのならば、その男の命はなくなってしまうでしょう。あなたの問いはそれと同じなのです。もし世界は永遠に存在するとかしないとか答えることができる人がいたとしても、その人にも生老病死の苦しみがあり、さまざまな憂いや悩みがあるのです。あなたの問いは、人間の本当の苦しみや悩みとは関係のないことです。わたしは説くべきことのみを説きます」 私たちが本当に問題としなければならないことを後回しにして、他の問題に目を向けていることを戒め、何が最も大切かを示しています。

もし私がアナウンスした人だったら、(立場上、またそれで給料をもらっていたら)そういうアナウンスをしないと100%否定はできません。私がいつも心の片隅に置いているのは、極限状態の選択に迫られた時、立場や、体裁より、一人の人間だったらどうするかを念頭に置けば、誤った言動、行動はしないだろうと自分自身にいつも言い聞かせています。
ブッダは何百もある戒律は、時代によって不相応ならば変えてもいいとおっしゃられていました。「神聖なる土俵に女性が上がっている、心肺蘇生は後回しでいいから男性看護師を探してきなさい。」はたして神様は(そういう存在がいたとして)そのように思ったでしょうか? 仏教は宗教というより精神科学だとある方が言っていました。つまり目の前の現実をよく見なさい。ということでしょう。私もいざという時、一人の人間としての正しい判断、正しい行動ができる様にしたい。 2600年も前にブッダが語ったことを念頭に置いて。

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