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2017年12月13日22:32

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As Time Goes By

気がつけばもう12月、師走ですかぁ。
月並みではありますが、1年ってのはホントあっという間ですねぇ。

皆さんにとって今年はどんな1年でしたでしょうか。
世の中激変続きと言った印象で、それはもう毎年のデフォルトみたいなもんですけど、
その様相はこの数年、幅や質が随分変わったようにさえ感じます。

個人的な話ではありますが、先日8日は昨年亡くなった父の一周忌でありました。
あの時から1年が経ったのか・・と思うと、この1年はやはりあっという間だったし、
その反面ではこの間、あまり時計は進んでいないような感覚もあったりで・・
そんなこんなが交互して今に至ってるんだと思うと、やっぱ総体的には
早い1年ということになるのかな、という所ですかね。

無宗教なんで坊さんを呼ぶこともなければ、お経があがることもなく。
母方の姉妹二人と片方の旦那のみが来てくれただけで、特段の儀式みたいなものも
一切なく。単に久方ぶりの集いに華を咲かす・・という程度。
来年以後はこれすらもなくなる・・いや、しないで時が過ぎていくのでしょう。

人が亡くなり、時が積み重なるということはこういうことなんだろう・・
という思いを改めて感じます。もちろん、世の中には家系的な伝統や、
各宗教によるしきたり・風習を背景にしながらきちんと都度行う・・
という所は沢山有るでしょうけど、昨今の時代性や生活環境らの変化により、
今後は私の所のような家が益々増えていくんだろうな、と。

上記のように無宗教ですし、亡き父がそうしたものを一切拒んだ人でしたから
特段あとを引くことは一切ありませんし、私も家族も皆そう思ってるので
そこについては何らもありませんが、一つだけ感じたこと・・。

形式がどうであれ、こうした節目が薄まる、無意識化されていくことは、
人が集うこともまたなくなっていくんですよね。
盆暮れ正月、冠婚葬祭、各種行事・・かつてからあった大衆の伝統性みたいなものを
背景理由にして、親族や周辺との接点・・
すなわち“コミュニケーション”が図られる機会があったわけで。

それらには、現代社会の変化に伴う多様性やニーズらとの乖離が発生し、
無駄や煩わしさに変質、“面倒なことを忌避する”所に至ったと思うわけですが・・
確かにあらゆる弊害もあったりするし、そこに金銭的な負担までも目に見えて
出てくれば、どうしたって排除の方に向くのも無理はないですしね・・

これを「効率化」とか「合理的」等の言葉で表現するなら、
一番納得が行くことになるとは思いますが、一方で効率や合理性を先鋭化させると
必ずや何かは削がれることにもなり得るわけで。問題は削がれたものが
本当に無駄や不必要なものだったのかどうか、という・・

あらゆる伝達事項を含めて、意思疎通の手段は今や“各種通信”の発達もあって
一応は可能ですが、“真のコミュニケーション”というのはどうしても
何かを介しては中々出来ないし、どんなに技術が進化しようともそれは今後も
多分永劫的に無理なんだろう・・と。

元気でやっているか、何か変わったことはないか、悩みや問題を抱えていないか・・
これらを確認したり、あれば相談したりアドバイスしたり。
やはりそれはリアルな対面や接触じゃないと中々難しいことで。

その「数少ない機会」が節目の行事であるとしたならば、
その機会が失われていくことは単に寂しいという感傷的なことだけじゃなく、
「人間社会のコミュニティ」が薄弱化していくということにも繋がる・・
と言うと少し大袈裟かもしれないものの、でもそんな気が一方ではする、と。

父の葬儀・・といっても家族葬的な、お別れ会的なものではありましたが、
それでも一応近親の人達10名程度来てくれたことは、有り難さと共に
どこか暖かさみたいなものを感じたのも事実ですし、
寂れていく地方のコミュニティ状態にあって、
ある種の“救い”みたいな感覚さえ抱いたのが正直な所でもありました。

“こういうことでもないと、中々顔を合わせることも話することもないしね・・”
という半ばお決まりの会話でさえ、その奥底には大切な意味もあるんだということを、
この1年の間にはより一層実感したし、その意味合いを感じさせてくれた1年でも
あったかな、と。

この辺、各々人によってはまた要件や環境の違いによりその限りではないものの、
総じて日本の中にある大衆性や大衆観念みたいなものが、速度を上げて
変化するということは、伴って何らかの“影響”というのはあるんだろうと思うし、
既にそれはもうあちこちで派生していることでもあるでしょうが、
しかして本当にこれでいいのだろうか・・という戸惑いは僅かにあるのが正直な所。

その節目や機会が別の、何らかの形で代替されるならそれでもいいんでしょうが、
現時点でそうしたものは明確に見えないし、簡単に構築されるものでもないし・・

「ネット社会とリアリティ」辺りで語られるものと、共通項がどこかしかに
あるような気もしますし、現実社会とそこにある地域コミュニティが消滅することは、
単に人間の数が少なくなるということばかりじゃなく、人間社会そのものが消滅する・・

外観上頭数はそれなりにあったとしても、真のコミュニケーションが薄い状態は、
社会が形成されているのではなく、単に「空洞社会」や「血の通わない社会」が
そこに横たわっているだけ、ということになる・・

現にそれはもうだいぶ前から形作られて来ている、とも言えるでしょうし、
その余波や影響は色んな所に出ているということは容易に言えることでもありましょう。

ここ数年実家のある地域や周辺事情、そして父の他界を経て1年経った今、
更には激変し加速しゆく「効率化社会」らを対極的、総合的に眺めてみて、
表面的な“時の経過”と共に、複雑で暗澹たる気持ちにもなった次第であります。。

では1曲・・。
亡き父が愛した、シネマミュージックでもあったスタンダードナンバーを。

「As Time Goes By」by Dick Haymes

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