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2017年10月13日00:31

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わたしも橋の下生まれw

なんかやるとさ、橋の下から拾ってきたって
ふつーに言ってたよ、うちの父も母も。
しかも私の生まれた病院って、本当にすぐ横に橋がある。

今はマックスバリューになってしまったけれど、
函館日赤のすぐ向かいにあった病院w
すぐ前に亀田川(昔は新川っていってたな)があるし、
昭和橋という路面電車も通る端のたもとw
全く「橋の下」がシャレにならない病院で生まれたわけ。

もっとも、私の場合
否定しようも無いくらい、父親側に体質似てたから、
拾ってきたと言われても説得力のないことw
でもね、お婆ちゃんは嫌がってたな。

父方のお婆ちゃんは、子供が多いうちから
赤ちゃんの頃に本当に貰われてきたひとで、
届け出上は実子になってるから、戸籍を調べても本当の親がわからない。
だから、自分の子供を橋の下から拾ってきたなんていうのが、
お婆ちゃんは嫌だったんだろう。

別に、虐待されたわけじゃないし、
ちゃんと愛情かけて育てられたひとだったけれど、
子供が出来ないから貰われてきたってことは、
本当は兄弟は沢山いたはずなのに、
ひとりっ子として育てられたわけだ。

お婆ちゃんは、子供も孫も大切に育てた。
でも、私がお正月に函館に帰ってたときに、
おせちを作ろうとしたら、
(わたしはいつの頃からか、自分で作るようになってたのでw)
お婆ちゃんは
「ごめんね、お婆ちゃんのお母さんは、お店やってたひとだったから、
そういうこと教えて貰わなかったんだよ」
って、申し訳無さそうに言っていた。

お婆ちゃんはそれまで、自分の家族のことを何も言わなかったから、
それは、私の記憶に鮮明に残る一言となった。
私の記憶の中のおばあちゃんは、いつも優しくニコニコしていたから、
さびしそうにそういった顔を始めてみたからだ。

当然のことながら、養母を失ってからのお婆ちゃんには、
自分の夫を除いては、守ってくれる家族は居なかったのだろうし、
ニコニコしていたけど、緊張して生きてきたのだと思う。

大勢の兄弟の末っ子なら、高齢出産だったのかもしれない。
私の祖父母のなかでは、一番若かったのに、
祖父が膵臓がんで亡くなったあと、
祖母は半年とたたずにひどい認知症とうつ病を発症していた。

一番手をかけた孫だったはずの、私の名前さえ
わからなくなっていた。
顔をみれば、身内だとはわかっていたようだけれど、身内の名前は、
遠くに嫁にやって心配だった長女の名前になってしまう。

認知症のほか、うつ病もあり、食欲も全く無かったから、
祖母は70代の半ばで、90を過ぎた老婆のように
痩せて、髪の毛も抜けて、小さくしぼんで死んでしまった。
もう私の祖父母は1人も生きて居ないけれど、
父方の、祖母の死が、一番寂しく悲しかった。

だから、自分の子がまるで自分の子で無いような
そんな叱り方とかは、やっちゃいけないと思う。
私自身は、息子にそんな風に言ったことは無い。
言わないようにしようと思ったわけではないけれど、
そんな風に発想することさえ無かったからだ。

一体、何の流行りで、橋の下からなんて言うようになったのだろう。
わからんね。。。


■今もトラウマ!?「あなたは橋の下から拾ってきた子どもなのよ」
(ママスタジアム - 10月12日 20:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=4809966
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