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2017年08月09日23:01

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ハムからネットへ

私がアマチュア無線の免許を取ったのは、次男が生まれて半年とかいう頃だったと思う…かなりあやふやな記憶

最初に夫が、義次兄の影響で国試を受けて免許を手にした
当時、自営の植木屋だったから
朝出掛けたら連絡のとりようがない、アマチュア無線があればどこに居るのかわかる、なんて本来の使い方とは違う動機で、私も試験を受けた
こんなことで無線を使ったら始末書ものだったはず

でも、とにかく動機としては何でも良い、小中高と理科の時間は好きでも、それは第二分野の植物とかのことで、電気とか、物理っぽいこととかは大の苦手で、アンペアとかオームとかとんでもない世界だった

そして何より、国試の試験問題の本を丸ごと1冊覚えなければいけない
だって、苦手でキライだから、基本とか理論とかを覚えたり勉強するとか言ったらとても気の遠くなるような話

今まであまり言っていないけど、実は国試1度不合格になった^^;
4者択一なのに…

それで諦めずに又受けたというのはどのくらい心細い思いで夫の帰りを待っていたかと言うことだと思う

その頃携帯電話があったら、こんな試験を受けようとは思わなかったと思う

国試の試験会場が、蒲田駅から歩いて行く、日本電子工学院と言うところだったこともラッキーだった
実家のすぐ近く、赤ちゃんだった次男を実家に預けて受験できた

知らないところ、新宿とか渋谷とかだったら行っていたかどうか
結婚するまで、高校と、1年勤めた職場以外出歩いたことがほとんど無い、今のようにネットで場所がわかる時代じゃ無いから、余計に出不精だった
この字の変換、いつもいつもデブ症とばかり打ってるから、ちゃんとデブ症が出てきて、ちゃうちゃう、出不精^^その頃はデブじゃ無かったし^^


とにかく、夫より1年か1年半か覚えていないけれど遅れて合格の通知が来て、アマチュア無線を始めた

免許とコールサインが来てすぐその時から無線機のマイクを握った
こういうのはすぐにしないと後でとか言うと、免許だけで出なくなることが多いからと、夫が言う
免許は持ってるけど出てこないYLは多いからって
YLというのは女性のハムのことを言う
ああ、ハムというのはアマチュア無線のこと

それで、いきなり夫の入っていたクラブ局に入れて貰って
空いてる時間に、CQを出した
多くは無かったけど、それでも珍しくもないYLだけれど、まだ出たばかりというのはさすがに声が掛かるから、すごい勢いで繋いだ

私の出ていたバンドは、144MhzのSSBと言うところ
関東一円と、電波が乱れると夏場にたまに沖縄がつながるけど、遠くまでは飛ばないところ

知らない男性と話をするということを、ハムで経験したから
この後にネットの時代が来ても、声ではなく、文字のつながりでも、大きな違和感はなかった

きれいな言葉の使い方、ラバースタンプQSOと言われないような、少し挨拶とかを入れての話し方を考えて
カード交換をした…144のバンドとしては、結構多かったと思うカードが毎月どさっと届くのが楽しみだった

夫は車に積んだ無線機で、繋ぐくらいで、私が家の無線機を使い倒した^^

子どもが泣いても、夫が面倒を見てくれたり、テレビを見ていて、梅雨から夏にかけて画面が乱れたりすると、スポラジックE層の関係で沖縄が出るというので、無線機の前に飛んでいく

CQ、CQ、CQ・・・
パイルアップの中、なんとかコールサインの一文字でも聞き取って繋ぐときの楽しさ^^
たまにパイルアップがさばけなくて逃げ出しちゃう人も居たりする^^

箱入り奥さんだった私の最初の社会とのつながり^^

でも開局したのが東京大田区だったけれど、茨城に引っ越してしまったから、やはり無線も少し遠ざかるようになり

引っ越す前に、クラブの仲間達が受験するといった上級ハム、2級アマチュア無線の試験を受けるだけ受けて
引っ越し先で合格通知を手にした
試験のためだけに、モールス信号のアルファベットを覚えて、聞く練習も、打つ練習も、それから、電話級と違って、試験は筆記だったから、10問の問題を解くのにめっちゃ丸暗記した^^
無線工学と、無線法規…

ずっと劣等生だったのにね^^

私の2アマの落成試験?が、もう最後かもしれないという頃で、試験官が来て、無線機、アンテナ、書類を調べに来たときも、質問されたら困ると、緊張したけど、なんとかなった
その頃は娘が赤ちゃんだった^^

今の家に引っ越してから、近所に、定年になった人が1日中出ている人が居て混線というかノイズがひどくて出られないのと、テレビに電波障害が出て、夫が確認しに行ったら、あの古いテレビは出るだろうと諦めて帰って来て、それから辞めてしまった

もう、30年も無線をしていない
でも、一番楽しい時間を過ごすことが出来て良かった

そしてその時がなかったら、33才で車の免許を取ったときの筆記試験もすんなり通らなかったかもしれないし
これは1度で通った、実家の父に来て貰って留守番をしてもらい、私は5時台のバスで水戸まで行く試験用のバスに乗ったから、1度で通らないわけにいかなかった

そして、ネットの掲示板でのやりとり、チャット、そしてブログと知らない人たちのつながりの中に居ることに違和感が無く居られるのも、アマチュア無線という下地が有ったからじゃないかなあと思っている

それは患者会の電話相談でも、若い人も年配の人も、普通にお話しできることも合わせて
当たり前と思われるかもしれないけど、電話大嫌いだった、引っ込み思案だった私にとっては大変な部分だったと思うから

今日も特に何の変化も無いところで、書くことがないから、こんなことを書いてしまった^^
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