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2017年08月04日16:46

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【平安京妄想説】船岡山は平安京の基点に非ず

船岡山…平安京の基点となって羅城門・朱雀大路・朱雀門・応天門・大極殿と一直線上に並ぶ平安京の基線の北端に位置して基準点となったと推定されている丘陵で四神相応説では玄武に対応するとされている。

梶川敏夫氏はその平安京の造成時の想像図を
http://homepage-nifty.com/heiankyo/heian/image/heian07.jpg
のように描かれている。
しかし、本当に平安京の基点として山頂の岩磐座を設定して平安京の設計が行われたのだろうか?

まず、疑問に思ったのは先行する長岡京には北には丘陵・山地は京都市の広沢池までない。南には石清水八幡宮という聖地があるが神社や鳩ヶ峰は長岡京の朱雀大路よりも西に位置しているし、八幡宮そのものが9世紀に宇佐神宮から勧請されたから長岡京の造成時に神聖視されていたかどうかは疑問である。
つまり長岡京の南北基線上には目立つ山地丘陵はなにもない。それが僅か10年後に主導者が同じ桓武天皇の元で大極殿位置の経度を決定するという重要事項の根本的な仕組みが変わったとするには都市計画や宮殿・内裏構成が余りにも似すぎている。
フォト

どうやら平安京も長岡京と同じように山岳丘陵に拠らず大極殿位置を設定して、造成してみたところ【タマタマ】朱雀大路の延長線上に船岡山があったのではないだろうか。

平安京オーバレイマップ
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/
で大極殿位置を確認して緯度・経度・標高を表示するマップで千本丸太町交差点西北隅をクリックすると
フォト
同じマップで船岡山の同一経度を探ると
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山頂三角点と約60mほど西に在り標高も5mほど低い。平安京の造成時の測量精度は非常に高く、ほぼ同時起工した大路小路の差は殆どなく1Mも側溝はズレてないとは埋文研の先生の現説の言葉。その精度の高い測量技術で最高標高地点【と古代からあるとされる岩磐座】を数十mも東に基準線を描いたのだろうか?

フォト
グーグルアースでみた船岡山 岩磐座と三角点が解る。
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