mixiユーザー(id:53828642)

2017年02月28日15:37

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出て来た考えを指に任せて書いた

凄い下手に出る自分と
とても威張りな自分がいる

そしてとても事が上手くいっているにも関わらず
それを冷ます言葉を周りにも自分にも言うのが好きな自分がいる

これらを総合するととても性格が悪い。

なので自分のルールとしては
相手にやられた以上の事はやらない。

そうすれば自分は相手
相手は自分の鏡になれる。

しかしそれだと相手の性質が感染しやすくなって
自分の性格が変わってしまう。

俺は庶民から抜け出せないし
抜け出さない。
それ以上の自分になると精神に支障がでる。

そして一度味わってしまった贅沢の価値観はとても下げにくい。
人間は一年に一度くらいのピザの贅沢くらいが丁度いい。

365日空腹になると食べ続け
食にこだわり美味しいと言われている物を食べ続けると分かる。
次第に美味しい物が無くなっていく。

感覚を戻すには数回の断食が必要になる。
味覚が戻ったとしても贅沢の味は残りたまに思い出す。
人はとてもよく出来ている。

最終的に
団地で育ったなら団地の様な狭い雰囲気に落ち着くし
トタンの借家で育ったらその雰囲気に落ち着く。

それを知るために広い場所に住んでみれば分かる。
閑散とした空間の虚しさに
もので埋め尽くした悲しい空間が広がる。
それが終わると何もない必要なだけの生活が始まる。
ものが有る虚しさと
ものが無い虚しさなら
無い方が空間が美しく見える。

そして今でも狭さを求めて漫画喫茶やカプセルホテルや押入れの中に
安らげる安眠を求めに行く。



俺は人に染まりやすい…

自分だって思っていた人は
出所を辿ったら
友達の斎藤くんだったり
ようすけくんだったり
杉山先生や石月先生や
自殺した中条先生だったりする。

俺はただの体験の組み合わせに過ぎないと思った時
自分は無いと感じた。

しかし、一族の血は気質という先天的な毒にも薬にもなる性質を受け継がせ続ける。

両親の親戚を辿り話をすればそれが分かる。

ここでも自分は無い。

自分が有るとしたら体験の組み合わせ
組み合わせさえも出会った誰かだから
有るといえば有るけど
無いといえば無い
という事で落ち着く。


今日はこんな事を考えてた…


http://www.youtube.com/playlist?list=PLP-uAWAwXIz8Ls2DAExCG4N4f8cb8XQdS



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