立場上、毎日文章の査閲・確認を求められます。
明らかな誤字や時系列、表現がおかしい時はバッサリと直しますが、ちょっとした言葉使いはなるべく触らないようにしています。
書き手がその表現を選んだ理由、ボキャブラリーがないのか、それがその人の表現方法で、敢えてその言葉を選んでいるのか、真意の判断がつかない以上、書き手の表現を重視するようにしています。
例えば始末書。
いい歳のおっさんが「反省しています。申し訳ありませんでした。」では、全て書き直しするけど、若い子ならこれで通しますよ。
始末書ついでに書いとくと、文面に反省が見られないのに、「何卒寛大な処置を〜」って書くヤツは没。
文章って自分の思いを人に伝える大切なツール。
形式に拘るのもビジネスマナーでは必要なのかも知れませんが、自分の本心が相手に伝わる生命のある文章を書きましょう。
校閲なんて校閲者の感性次第。
どうせ書くなら自分の好きな文章を書きたいよね!
■表記統一へのこだわりは日本語の豊かな表現を失うことにならないか?【鴻上尚史】
(日刊SPA! - 02月17日 16:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=4437504
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