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2017年02月10日22:04

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ひとの言うことは半分に聞け

昔から、そんなことを言われる場合があった。ひとの言うことなど、存外当てにならないものだ、という意味である。

ところが、他人の言うことが当てにならないのは、必ずしもその人が嘘を言っている場合だけとは限らない。記憶は変質するものだから。私自身のそんな例を二つほど挙げてみたい。

30代半ば頃、課長の代理で何度か業界の会議に出席することがあった。会議は東京駅の近くで開かれる場合が多かったが、ある日のこと、会議は終わったがまだ明るいし、陽気はいいし、銀座まで歩いてみることにした。

中央通りを京橋あたりまで来ると、背後から都電がやって来た。南千住から来た新橋駅行きの電車で、かなりのスピードで走り去った。

これが変なのである。私が社会に出るずっと以前に、中央通りの都電など廃止されていたのだから。でも、その時の電車の肌色に海老茶の帯を巻いた塗り色も、正面の「新橋駅」と書かれた行き先表示幕も、「22」という黒々とした系統板の数字も、馬鹿に記憶に鮮明に残っているのである。出入口の脇には、路線の経路を示す横長の看板が吊り下げられており、それで南千住始発の電車だと知った、そんなところまで覚えているのだ。

もう一つの例も、なぜか路面電車に纏わるものだから不思議だ。

私が中学生の頃、二子玉川からわずか2キロ余りの「砧線」という支線が出ていた。ある日私は友人とともに、その砧線に沿って自転車で終点の砧本村まで行ってみたことがある。

吉沢という停留所の手前に、左が団地の塀、右が線路で、それらに挟まれて細い道が伸びているところがあった。ここで電車に出くわしたら結構怖いな、と思っていると、果たして電車がやって来た。塀にへばり付いてやり過ごす私達のすぐ脇を、電車は淡々として通過して行った。

その数年後砧線は廃止されたが、さらにまた7年ばかりのち、その場所を通り掛かる機会があった。そして私は思わず、あっ!と声を上げた。記憶の中の光景と、今眼前に展開した眺めが、ちょうど鏡を見ているように反転していたのである。右が団地、左が線路(の跡)だったのだ。

このような記憶の変質は、なぜ起きるのだろうか?まず前者の例は、恐らく遥かに時間を隔てた二つの記憶が、何らかの原因で結び付いているのであろう。それでは後者は?あの時電車がやって来たのは、背後からだった。つまり私は電車が近づいて来るのを、音で感知し、心の目で見たのである。そんなところにヒントがあるような気がする。あるいは、どちらも電車が背後から接近しつつある時のことだから、それが何か記憶を変質させるメカニズムに関係しているのだろうか?そんなことをきっちり研究して解き明かしたら、博士号くらいは取れるかも知れない。博士号「くらい」と言うのも変だけど。

今日思い返してみても、どちらの記憶も上に書いた通りである。記憶というものは、時として変質してしまうくせに、こんなに頑固なのだから始末が悪い。

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