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2017年01月23日13:46

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新千歳で見た長編覚え書き

去る2016年11月に北海道で開催された新千歳空港国際アニメーション映画祭2016は、私にとってとても意義深いものだった。
この映画祭については、とあるところ(現時点では未発行)にレポートを寄稿したが、ここにその一部、初公開の長編アニメーション映画についての部分を少し手を加えて転載する。
今後、何らかの形で上映された時の為の覚え書きとして。図版はネットから。

     *     *     *

新千歳での上映作品の中ではやはり初公開の長編が印象的。
今回は、インドネシアの『Battle of Surabaya(バトル・オブ・スラバヤ)』、フランスの『The Invisible Child(ジ・インビジブル・チャイルド)』、ベルギー・カナダ・フランスの『April and the Extraordinary World(アブリル・アンド・ザ・エクストラオーディナリー・ワールド)』、カナダの『Window Horses(ウィンドウ・ホーセズ)』の4本が上映された。

■『バトル・オブ・スラバヤ』はインドネシア初の長編アニメーション作品。アリヤント・ユニヤワン監督、インドネシア、2015年、98分。2D動画が中心。
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第二次世界大戦直後のインドネシア独立戦争の渦中、「スラバヤの戦い」と呼ばれる史実を元にしているが、描き方は必ずしも歴史に忠実とは言えず、何故か現地にいる日本の忍者部隊が日本刀をかざして「八紘一宇!」と鬨の声を上げたりと多分にトンデモな要素を含む。
主人公は現地の少年ムサと年上の少女ユンナで、ムサが一見安彦良和風に見えたり、70年代東映動画調の悪役顔と二枚目顔のキャラクターがいる等、日本のアニメの影響も色濃い。
公開されているスチルがどれも一枚絵だと決まって見える為、上映前の客席の期待も高かったのだが、百聞は一見に如かずの例ともいえる。自国の題材を取上げる姿勢は好ましく、ラストに声高に掲げられる「戦争に栄光(GRORY)なし」の言葉も実際の歴史に照らし説得力はあるのだが。
日本のTVアニメの下請けをしていた時期がある等、アニメ制作の下地はあるので、原動画の動画がまずきちんと描けるようになれば飛躍的に質が向上するのではないか。

■『ジ・インビジブル・チャイルド』は昨年のアヌシーで発掘された無名作家の知られざる長編で、ほとんど独力で作られたと思しき手描きの自主作品。アンドレ・ランドン監督、フランス、1984年、63分。
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動画を描き、セルにし、背景と重ねて撮影し、という1984年当時の手間と、63分という上映時間を考えると気の遠くなるような作業である。デジタル導入期以前にこうした個人制作の長編に挑んだ存在はいても決しておかしくはないし、理解出来るのだけれど、実際にその成果を目の前にすると言葉を失う。
しかも、時々刻々と満ちて来る海の水をカメラを固定したまま延々と長回しで描き続ける、或いは自転車で走る少年をこれも長回しのカメラで追い続ける(周囲は延々と背景動画の石畳)等、驚愕の描写の数々。自らが描きたくて描いているとしか思えない気負いの無さ。上手い下手の問題ではなく、こういう人は実際にいるのだ。今はこの作品が世に残り、こうして日の目を見たことに感謝したい。これ1本で新千歳まで来た甲斐がある。
話はいわゆるイマジナリー・フレンドもので、輪郭線で描かれた自分にしか見えない少女と交流する少年の、思春期ならではの物語。ひ弱な線で描かれた世界がその内容にそぐわしい。制作を手伝ってくれる友はいたのだろうか。

■『アブリル・アンド・ザ・エクストラオーディナリー・ワールド』はクリスチャン・デスマール、フランク・アキンシ監督、ベルギー・カナダ・フランス合作、2015年、105分。
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最近とみに多い多国籍合作長編。音声はフランス語。2015年のアヌシー長編グランプリ作品。直訳すれば「アブリルと驚異の世界」か。
スチームパンクな架空歴史世界を舞台に、蒸気機関を使った空想メカが大挙出現する中を、一人の少女と科学の力で人語を喋るようになった愛猫が活躍するSF冒険物語。宮崎ジブリ作品の影響大で、その筋のファンには堪らない魅力がある。
アブリルは科学者の娘であるヒロインの名前(英語ならエイプリル)だが、これがお世辞にも可愛くないのが日本との違い。ジャック・タルディのコミックを原作にしているが、現地では魅力的に見えたりするのだろうか。この一点さえ何とかなれば日本公開も夢ではないと言えるし、実際、機智に富む展開で、見終わった瞬間の心地良さといったらなく、ラストに映し出されるアブリルの家族写真に自分でも不思議なほど胸に込み上げるものを覚えた良作なのだが。

■『ウィンドウ・ホーセズ』はNFBで制作された長編。アン・マリー・フレミング、カナダ、2016年、85分。
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基本は手描きだが、ピンスクリーンかと思えるカットもある等、様々な手法を交えており、それを1本の作品として成り立たせる技術や音響周りの完成度が高く、さすがNFBの看板は伊達ではないと思わせる。
生き別れた父のいる国イランで開かれる詩のフェスティバルに招かれた中華系の若い詩人ロージー・ミン。彼女が詩を通し、大会に集う様々な人と関わる中で自らのアイデンティティに目覚め心を開いてゆく様を描く。抽象性に富み、かつ繊細な表現。丸ちょんでしかない顔に、一本線で描かれた針金のような体のキャラクター。それがどうしてこんなにも表現が豊かで、見る者の心に響くのだろう。アニメーションの持つ力の奥深さに打たれる。
父、亡き母、祖父母、歴史、記憶、そして詩。バラバラだったピースの1つ1つが終盤にかけてぴたりぴたりと嵌っていき、家族の真実が立ち現われる驚きと感動。この感動は決して生き別れの父に会えて良かったという表層的なものではなく、もっと根源的なもの。国情等、現代的な視点を持ち、かつ普遍的で示唆に富む物語。解説に「分離された文化と世代の間に橋をかける」とあるが、まさにその通り。珠玉の85分である。
NFBの作品ならば日本でもどこかで上映可能な筈。一般公開とまでは言わないから、どこかで上映されて欲しい。最終日、授賞式を置いて私はこの作品をもう一度見ることを選んだ。作者のアン・マリー・フレミングは中国人とオーストラリア人の両親を持つカナダの女性アーティストである。
先に丸ちょんと書いたが、それはヒロインのミンだけで、他のキャラクターは作者独特のタッチの顔をしている。だから、ミンと彼女の親友が一緒のカットにいると軽い違和感を覚えもするのだが、敢えてのその描写は彼女に特別な視覚的情報を付加すまいとの作者の意志の表われではないかと思う。

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