mixiユーザー(id:2145604)

2015年11月28日00:15

381 view

「難波津の歌」の木簡出土は誰の家

■木簡に「難波津の歌」=最古級の平仮名、平安の井戸に―京都
(時事通信社 - 11月26日 20:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3731166

この邸宅は誰の邸宅だろうかと調べてみた。
京都市歴史資料館のお知らせ
http://www.kyoto-arc.or.jp/blog/jp-mus-exhibition/1853.html?cat=15
によると 出土場所は平安京左京四条一坊二町
ここを平安京オーバレイマップ
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/
でみると…
フォト
大江公仲屋敷となっている。

では大江公仲とは とググると
『 大江公資(?〜1040)の子‣広経は、甥‣公仲を養子とした、とされている。この公仲は公資の孫にあたることになる(1094年、公仲は重罪で隠岐に流刑となり、3年後に戻されているようだ。大江公資も、歌人相模の蔵書を焼いてしまうようなところがあったという』
なんて記事が…
つまり百人一首歌人-相模『うらみ侘ほさぬ袖たにある物を 恋にくちなん名こそおしけれ』の孫又は義理の孫に当たるのか。
というか相模がこの地に住んでいたにせよ「難波津の歌」の木簡からは200年ぐらい後のこと。

一瞬、祖母にあたる相模のものかと思いウキウキしたが時代も違うし
妻問婚なら住んでもいない。残念でした(笑)
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年11月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記