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2015年04月15日02:43

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A delay better than disaster

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3371611

 再稼働差し止め決定で思い出したのは、タイトルのこの言葉だった。

 2009年1月15日、USエアウェイズ1549便ハドソン川不時着水事故で、乗員乗客155人全員の命を救ったチェズレイ・サレンバーガー機長が、いつも持ち歩く航空路線図に貼っていた言葉である。

A delay better than disaster (遅れても災難よりまし)


 この言葉は中華料理店で引いたおみくじに書いてあったものだという。以下の日経ビジネスオンライン記事で知った。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20150403/279577/?P=4

>おみくじに書かれたこの言葉を肝に銘じるために、貼っていたそうだ。

> 「時刻通りに運行しろ!」「予定通り飛行機を飛ばせ!」

> そんな社内外から浴びせられる要求に屈しないため。

> 「我々にはパーキングブレーキという武器がある。安全な飛行ができると機長が確信できなければ飛行機を出発させない」ため。

> “僕たち”の仕事を見失わないために、プロとして責任ある行動と、プロにだけ許される権限と義務に恥じない訓練と備えを忘れないために……、おみくじを大切な路線図に貼っていたのである。

>「あなたの任務は人命を守るってことですよ!」ってことを忘れないための、とてもとても大切なシグナル。まさしく、「ヒューマンエラーや事故は起こる」という前提に立った、自らへの警告なのだ。

> ちなみに、米原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission、略称:NRC)では、「ハドソン川の奇跡」を安全文化の啓発に頻繁に利用している。


 では、日本の原子力規制委員会は、日本政府は、経団連は、原発立地自治体は、この言葉を肝に銘じないのだろうか? 「遅れても災難よりまし」という言葉を。

 今回の差し止め決定を含む一連の決定に書かれている「人格権」とは、旅客機で言えば、「墜落によって殺されない権利」である。
 航空業界では、この権利は旅客機を運行することによる経済的利益より重く扱われる。飛行機の離陸の決定の権限は機長にあり、乗客の利便性や航空会社の経営判断が優先されることはない。

「安全な飛行ができると機長が確信できなければ飛行機を出発させない」

 これは原発でも同じことのはずだ。原発に頼る社会とは、その全員が飛行機に乗っているのと同じことである。それなら、最優先されるのが人格権なのは当然のことであり、電気代、地域経済、その他経済的利益を第一に持ち出す主張が普通に語られているのは、とても不思議に思う。

>福井市内で開かれた記者会見では、内山成樹弁護士が原発の耐震設計の基本となる基準地震動の策定方法に疑問を呈した決定に触れ、「基準地震動が1桁上がるかもしれない。費用がかかって現実的には対策は無理だ」と指摘した。

 この被告側弁護士は、航空事故についても、「旅客機の安全基準を高めるのは費用がかかって現実的には対策は無理だ」と主張するのだろうか。

 飛行機とは元々危険をはらんだ存在であり、航空機の運行は事故の危険との不断の戦いである(注)。原発が旅客機よりも緩い安全思想で運転されてもよいという理屈は通らないと思う。

 もしかしたら、福島の事故以前には、関係者は本気でそう信じていたのかもしれないが。


 こういう疑問は出るかもしれない。福井地裁は原発に関しては素人ではないのか? 原子力規制委員会の判断よりも優先されるのはおかしいのではないか。原発の場合、「機長」なのは規制委員会の方なのでは?

 では、田中俊一規制委員長のこの言葉はどうだろう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list//CK2013032802100004.html
「安全基準」やめ「規制基準」に 読者指摘で原子力規制委

>会見で呼称変更の理由を問われ、田中氏は「基準を守っていれば安全というわけではない。私たちがやることは規制を課すことで、その結果として安全が担保できればいい」と話した。

「基準を守っていれば安全というわけではない」。この発言には驚いた。原発の安全を保障するのが目的でないというなら、原子力規制委員会の目的は何なのだろう。
 この姿勢を見る限り、規制委員会に「機長」の資格があるとはとても思えない。 
 だから、規制委員会の基準を「不十分」とした地裁の決定は正しいと思う。それどころか、上の発言を見るかぎり、田中委員長は新規制基準が原発の安全確保には「不十分」だと2年も前から認めていることになるわけだ。
 したがって、原子力規制委員会は福井地裁の決定に異論を唱える資格を2年前に自ら放棄していると思う。

 このような、「安全最優先」を自ら放棄している原子力規制委員会が運用する規制基準を、「世界最高水準の安全基準」と称する日本国政府もまた、原子力の「機長」の資格はないと思う。

 だから私は福井地裁の再稼働差し止め仮処分を支持する。



なお、上の日経ビジネスの記事タイトルはこうだった。『独機墜落で露呈した“人命無視”の負のスパイラル 「とりあえず絆創膏」で問題解決を先送りする、人間の愚かな性』

『原発事故で露呈した“人命無視”の負のスパイラル 「とりあえず絆創膏」で問題解決を先送りする、人間の愚かな性』という結果にならないことを祈りたい。



(注)
 その「戦い」の実際について知りたければ、ANA機長だった故内田幹樹氏の『機長からアナウンス 第2便』の4章「万全のセキュリティのために」と5章「ハイジャックは絶対に防げないのか」を読むといい。
 とくに5章の88ページから92ページは読むべきだ。内田氏は、ハイジャックを防ぐために機内の設計を変える等の対策が、逆に旅客機の通常運行の安全を脅かす危険性がある。だからハイジャックは防げない。防ぐにはハイジャック犯を飛行機に乗せないことしかない、と書いている。
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