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2015年06月06日17:48

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肉を食う人間に、この犯人を非難する資格は無い!

まず、決定的事実を言う。
肉を食う人間は、この子犬に対する虐待を非難する資格はまったく無い。
なぜなら、自分もそれ以上の虐待、いや虐殺を牛や豚に対してしているからである。
食べるためだから許される?笑わせる。それは牛や豚が許すと言ったのか?
食べるためなら許されるというのは、食う側の自分勝手なクソみたいな屁理屈である。

動物虐待のニュースに対して激しい怒りを示している人間のうち、
肉を食べる人間は、 自分が全く同じ動物虐待をしていることに気づいていないだろうか?
犬猫を可愛がりながら、平気で牛や豚を虐殺する、そのことに矛盾は感じないのだろうか?

決定的な事実をまず、書いておく。
「殺される動物にとっては、その理由が遊びであろうが、食われるためであろうが、死の恐怖と苦痛は同じである。
食べるためだからと言って許される理由などどこにも無い。
それは食べる側にとってだけ通用する都合の良い身勝手な言い訳に過ぎない。
殺される側にとっては殺される理由など全く関係ないのだ。

多くの日本人が、犬猫を「キャー!かわいい〜!」などと言い、
動物虐待や殺処分に怒る一方で、 平気で「焼肉が大好きです。」などと言い放つ。
そういう人間の無神経さが私にはまったく理解できない。

犬猫と同じように牛や豚も息をしている。
喜びも悲しみという高度な感情を持つ、人間と同じ哺乳動物なのだ。

肉を食う人間の動物愛も殺処分反対もニセモノである。
断じて動物を愛しているのではない。
単に犬猫を可愛がる自分が好きなだけなのだ。動物愛ではなく、自己愛である。

牛や豚の肉を食っている人間は、犬猫を虐待する犯人と同じ、いや、それよりも悪質である。
肉食は自分勝手な理由で、「動物の意思を無視して一方的に命を奪う」という意味において、
猫の首を縛って車で引きずって殺すことと、本質的に何ら変わらない。
食べるから許されるなどということはない。そんなものは食べる側の勝手な言い訳である。

犬猫に対する虐待や殺処分には「可哀相」などと偽善的な同情と怒りを示すくせに、
その一方で、平気で「焼肉が大好物です。」と言ってはばからない人間はけっこう多い。
ほとんどの人は、動物虐待のニュースを聞けば、
心が痛むし、腹を立てるだろう。
ところが、自分が日常的に行っている牛豚に対する間接的虐殺に対しては、まったくの無自覚・無関心である。

肉を食べるということは、即、とんでもない動物虐待をしているということだ。
だって、虐殺しているのだから。
でも、多くの人がそのことに罪の意識を持たないのは、
それは食肉業者が、人が肉を食べなくなると困るから、わざと屠殺の過程をブラックボックス化して一般消費者に見せないためである。
でも、自分が見ていないだけで、現実に犬猫と同じ哺乳動物である牛豚が大量に虐殺されているのである。
その真犯人は肉を食べている人間なのだ。

牛や豚を食う人間には犬猫等の動物虐待を非難する資格はないことに気づいてほしい。
牛豚の虐殺の様子はブラックボックス化して、食肉業者がわざと一般消費者に見せないように・見えないように
意図的に完璧に隠蔽しているが、牛豚などの屠殺現場はそれはひどい地獄絵図である。
安楽死などとはほど遠く、コストを安く、そして薬物なども使えないし、鮮度も高くしなければならないから、
牛や豚は意識を持ったまま泣き叫び、殺されてゆく。
さながら、地獄絵図である。
ちなみに、牛や豚などは犬や猫よりも高い知能を持つとさえ言われる。
それほど賢く、複雑な感情を持つ生き物なのだ。
なお、屠殺をブラックボックス化して徹底的に隠蔽するのは、それを一般人に見せてしまったら
トラウマになって肉を食べられなくしまうからである。
逆に言えば、それほどひどい殺し方をしているのだ。
虐待虐待とさわぐなら、まず、自分たちが食べている牛馬の虐待に眼を向けるべきである。

そして人間は、動物の肉を食べなくても、たんぱく質やミネラル、ビタミンはその他の食べ物から
摂取することが出来るので、「生きるために殺さなければならない」ことはない。
肉を食べる必要は無いのだから。

そしてもう一点大切なのは、殺される動物にとっては、食べるために殺す、あるいは快楽やゲームのために殺すという、殺される理由は全く関係ないということ。
食べるためなら許されるというのは、「人間の側だけの勝手な理屈」であり、
殺される動物にとってはどんな理由でころされようが、虐殺されることには変わりないのである。
たとえば、あなたが誰かに殺されるとして、快楽殺人なら許さないが、
殺した後に食べるためなら許すとでも言うのだろうか?
それと同じである。
「食べるために殺すことは別」などという自分勝手な言い訳は通用しないのだ。

それに、食べるために殺すなら、動物を殺すことが許されるという主張に沿えば、
韓国や中国が犬を食うことを日本人や西洋人は野蛮だ、可哀相などと非難していることも、
おかしいではないか。食べるために殺されるなら犬や猫を殺して食うことも許されるはずではないか。
結局は、「食べるために殺すなら許される」というのは、
人間が自分の都合の良いように考えた言い訳でしかないのだ。
ほんとうのところは、牛や豚の肉が美味しいから、食べたいだけなのだ。

真実は常にひとつ。
殺すことは、常に絶対的な悪である。
ただそれだけなのだ。

犬猫の殺処分を可哀相だと思う心があるなら、
自分も牛豚などの肉を食うことをやめること。
生き物、特に哺乳類を殺すことは、いかなる理由や言い訳をもってしても許されない。

食べることと殺処分は違うって?


いや、同じだ!。
殺される動物にとっては。

殺される側にとってはその理由など関係ない。
命があり、発達した大脳があり、高度な感情がある生き物ならば、
殺されることは恐怖であり、どんな理由があっても受け入れられない。
哺乳類を殺すな。食うな。
牛や豚も、我々や犬猫と同じ生き物なのだ。
人間や犬猫と同じように息をしていて、
人間や犬猫と同じように高度な脳を持ち、
人間や犬猫と同じように心を持ち、
人間や犬猫と同じように、死を恐れる。

我々人間は、自然の食物連鎖から逃れられない肉食動物とは違って、
高度な文明を持ち、肉を食べなくても植物だけでも十分に生きていけるし、
完全なベジタリアンは無理という人でも、高度な知能を持つ哺乳類を食べるよりは
魚や鳥だけで十分に豊かな食生活ができるはずである。
なお、魚や鳥も、出来れば食べない方が望ましいが、いきなりハードルをあげすぎても
実行が困難になるので、今、牛豚を平気で食べている人は、そのへんから徐々に
非肉食に移行していけばやりやすいだろうと思う。

とにかく、牛豚の肉を食べることは、殺すこととだと自覚すべきである。
目をそらしてはいけない。
肉を食うことは、「自分勝手な理由で、動物の意思を無視して一方的に命を奪う」という意味において、
犬や猫を殺処分することと本質的に何ら変わらない。 いや、それよりも悪質とさえ言える。
肉を食う人間は、自分が犬猫殺しの犯人と同じ罪を背負っていることを自覚すべきである。

罪もない子犬、口元をダクトテープで縛られ組織が壊死。40代男が逮捕(米)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=103&from=diary&id=3453753
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