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2012年08月26日10:04

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宇多野と宇多川

森幸安の葛野郡図には龍安寺の北に野原があり「宇多野」と記載され、そこから河川が流れ出て「宇多川」となっていた。

8/25拙つぶやき の転載
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今日から始まった「森幸安の世界7−洛外図」山科・伏見・鳥羽・嵯峨に併せて葛野郡図が展示 拡大図もあり18世紀半ばの右京区や山科区伏見区の様子が判り興味津々… 現在とは名称の場所が異なるものも散見。宇多野は現原谷で原谷はその東の谷、宇多川が宇多野から発して白梅町は何もない… 撮影禁止なので画像なし
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さて…
幸安の「中古京師内外地図全」と大日本帝國陸地測量部 明治22年測量版地図を見比べてみると
幸安は平安〜室町にかけても現「原谷」を宇多野と記載し、そこから宇多川が流れていたと解釈していたことが判る。
一方、明治22年には字原谷との地名があり、仁和寺の西に宇多野村がある。【宇多川については判らず】

どうやら幸安の誤りで
「衣笠山と鹿苑寺(金閣寺)の後ろ山から流れ出た二つの渓流が、妙心寺域の北東(現谷口唐田ノ内町辺り)で合流。同寺域の東側を南流し、安井村域で西に流れを変え、西端(現太秦安井西裏町)で御室川に合する。」日本歴史地名大系
である宇多川と【原谷ではなく】龍安寺山田あたりから流れ出る山田川【御室小学校の校庭脇の小川】を混同していたと思われる。
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