迷宮'11の漫画新批評大系のVol.16として刊行された『亜庭じゅん大全』
これは まんがファンダム史を語るには欠かせない資料としてだけでなく、「よむこと」を追求し、ひるがえりファンダム活動への苛立ちをみせるまんがファンダムを創り上げていった、ある一人の男の軌跡としての青春物語でもありえる。
自分語りを許して貰えるなら…
ひょっとして初めて買った『漫画新批評大系』かもしれない。
80年の冬コミを境にコミケに行かなくなった僕に82年のチャンゼロ新年宴会に亜庭は『漫画新批評大系』Vol.15を持ち込み僕に贈呈してくれた。そしてそれが亜庭と最期の遭う機会だった。
そして30年の月日が流れ…、改めてこの『亜庭じゅん大全』を手にとって見ると不思議なことに第一部の饒舌な「まんが語り」より第二部のMGM新聞に寄せる彼の苛立ちが垣間見える文章に興味を抱く。
同人誌とはなにか、即売会とはどの方向性でなさるべきなのか…彼の言葉は重く多少とも同人誌即売会にかかわった身にはのしかかる。
いや、こんな駄文より霜月氏もとい原田央男氏の大全に収められた解説文をよむべきだろう!そして村上知彦氏の漫画論者としての亜庭を論じた『亜庭じゅん、お前は誰だ?』を読むべきだろう。この2つの文により只の遺稿集でない『亜庭じゅん論本』≒『迷宮・同人誌論本』が提示されている。
僕が次にしなければならないのは、この本には収められていない『乏しき時代の表現者−Gomiの輪郭』への「ちゃうもん!」ではなく、より突っ込んだ反論なのかも知れない。
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