先日、アスニーの平安京創生館を訪れたところ森幸安展示の「中昔京師内外地図」を前にボランティア解説者の面々がなにやら談義。
僕の前に訪れた閲覧者さんが「西の京に書かれている文字が御土居の袖の起源のヒントになるのでは」と言われていたとのこと。目を凝らして見たが読めない…
ならば、と日文研の
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/07.htmlで
拡大して読んでみた。
「右京長安ノ部残ル地/應仁記及ヒ其乱後記西京ト云是/西京ノ名古ヨリ号ナリ」
と記されていた。
御土居の袖については中村武生氏の『御土居堀ものがたり』では
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江戸前期の絵図によって、この付近では下立売通に面したあたりだけが街区を形成していることに注目した。そして過去の説を踏まえて、街道町や寺などを取り込むために「袖」をつくったとされた(大塚隆/1979)
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と記されている。−第十七話−
この「中昔京師内外地図」で描かれた京都と同じ時期を描写したものに「洛中洛外図屏風−上杉本」があり、レプリカが同じアスニーの平安京創生館にあるので眺めてみると左隻の4扇か5扇の北野神社の南、双ヶ丘の東に家並みはあるような、ないような…(笑)西京の文字は6扇にあることはあるが…やや南に過ぎるような?これで位置はいいのかな??
どうやら御土居の袖の起源については、マタマダ宿題の様子(^^;
ともあれ「西ノ京」を「京都の西方向にある町」と今まで解釈していたが(今の京北と似たようなもの)森幸安の解釈は「(平安)京の西側の町(の残滓)」としていたらしい。納得!
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