京都市の防災地図を最近良く眺めているのだが…
上京区と下京区の水害地図を張り合わせ平安京坊城図を上に乗せてみた。
平安宮=大内裏のエリアが白く高台であることが良く判る。この北は船岡山に連なるので、その山裾の丘陵部なのだろう。鷹司団地あたりから安井にかけても衣笠山の山裾が広がっていて、その西も白い高台部がある(オムロン創業地あたり)−ここはアスニーの平安京模型では低湿地なのだが...
三条通から五条通(平安京五条坊門)にかけては寺町(東京極大路)より鴨川側に濃いブルーの洪水危険地帯があり、寺町より西に現れるのが河原院の跡というのも興味深い。東市・西市・東寺は薄いブルーなのに西寺だけは濃いブルーというのも面白い。
以前に御前川もしくは西大宮川と呼ばれた河川跡が見られると書いたが、面白いことに気付いた。
この御前通りの濃いブルーを辿ると紙屋川の下立売で紙屋川・天神川と分かれ、御前通りを丸太町から下がり四条の北辺りから中新道まで広がる帯となって五条通りまで進み、東へ曲がり(!)梅小路公園の北を通り堀川や西洞院川の濃いブルーのラインと合流して京都駅北側の濃いブルー地帯へ連なっている。そしてその筋はJRの鴨川鉄橋あたりで鴨川に結びつく。
これが、ひょっとしたら平安京造営以前の紙屋川の川筋ではなかろうか?との妄想が出てきた。多少ググってみたが
http://www.kappa-kyoto.vis.ne.jp/
カッパ研究会の「京の川の変遷」では突然に西大宮川が書かれていて水源・源流は記載されていないし
http://www2u.biglobe.ne.jp/~genbu/heiankyotoshishin.htm
足利先生の講演録では御室川については述べておられ、西堀川についても触れておられるが、平安京以前のハナシには不明とされてます。でも御室川は「北西から南東へ流れていた」とされているから紙屋川もそれと同じにしても可笑しくはないでしょう(^^;
プロト紙屋川の丸太町から五条の川筋を使って五条以南は人口路の西大宮川を造り、直線状に伸ばした本流として西堀川を造った。天神川(西堀川)は後に佐井川−宇多川を一条より直線状にした人工河川−の流路に流れ込み蛇行を繰り返し昭和中期の大改修で現行流路となる。
なんて、妄想はいかがでしょうか?
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