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2010年06月08日22:30

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皇族・高級貴族の邸宅発掘

京都新聞ニュース
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100608000099&genre=M2&area=K00
より
「南北60メートルの巨大池跡 皇族・高級貴族の邸宅か」
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京都市中京区丸太町通御前西入ルの発掘調査で8日までに、南北が59メートル以上、東西が41メートル以上もある平安時代の巨大な庭園の池跡が見つかった。所有者は不明だが、研究者は「皇族を含め、相当高い身分の有力者の邸宅跡だったのではないか」と注目している。

 マンションの建設に伴い、日開調査設計コンサルタント(宇治市)が2月から360平方メートルを調査した。平安京の「右京二条二坊八町」で、鎌倉末期に成立した「拾芥抄(しゅうがいしょう)」西京図では、下級官人らの宿所「諸司厨町(しょしくりやまち)」の左衛門町とされていた。

 見つかったのは、池の東側にあたると考えられる部分。調査地の南側で過去に行った発掘で、同じ時期の土層の池跡が見つかっていることから、規模が判明した。邸宅全体は、親王や三位以上の高級貴族が住んだ一町(約120メートル四方)以上あると考えられる。

 池跡は平安前期から後期にかけて3時期あり、1期(前期〜中期)と3期(後期)は小石敷きで、2期(中期)には白砂敷きと、形状を造り替えていた。現在でも地下水がわいている場所があり、池は自然の泉を利用して造ったと考えられる。

 平安京の遺構では、藤原頼通が造営した高陽院(かやいん)(上京、中京区)や上皇らが住んだ冷泉院(れいぜいいん)(中京区)で120メートル以上の池跡が見つかっているが、邸宅自体が4町(250メートル四方)と別格の規模だった。

 2000年に今回の調査地の約700メートル南西で見つかり、伊勢神宮の斎宮となった皇女が住んだ邸宅跡として注目された大規模な池跡は南北40メートル、東西15メートルで、今回は全容が不明な段階でも、その4倍前後とみられる。

 調査は既に終了し、現場は埋め戻している。

■意匠も見事

 京都産業大の鈴木久男教授(歴史考古学)の話 意匠面で斎宮邸や高陽院と比較しても遜色(そんしょく)ない。平安前期からあり、造り替えもしていることなどから、所有者は相当上位の身分の人物と考えて差し支えない。
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我が家から300m程の位置にこの邸宅跡がある。実は拙宅廻り半キロの範囲なんて遺跡がゴロゴロあるが−なにせ大内裏の内−このマンション予定地、ヨメが昨年の秋までパートに行っていた工場跡地あせあせ(飛び散る汗)

春頃に発掘調査をやっていて、この西にあるドラッグストアにヨメと買い物に出かけた際、
ヨメ「ナニかでるのかなぁ」
σ(^^)「かなり西で紙屋川の側だから庶民の家ぐらいとチャウか」
と会話していたとこでした。

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