昔facebookやmixiにスクール水着の画像を(pixivとかにあるやつね)貼っていたんだけれども、大親友が大量にいて自分としては実に羨ましい弟が「mixiにスクール水着の画像を貼るな。それは大人としてのけじめだ。」と言われた時は、怖かった。背後にいる社交的
弟に聞いた話だが、「友達は、捕まるリスクをもって作る」と聞き出したことがある。弟の威圧の象徴だと考えていたけれども、そこまでつかまることを考え無いと友情は作れないのだろうか?と、思った。
また馬鹿なことをやらかした。弟とはどうも自分としては幸せに感じてしまう。婚約者まで連れて来て、本当はぶち壊したくなかったけれども、自分が精神的疾患を起こしたので警察に頼んでブタ箱に入ればいいと母親は言う。僕は母親が言うように獄死亡したほうが
母親にお前は社会的生活をできないダメ人間だと言われた。今日も母親から見て自分勝手な行動をした。母親に言われると、「お前なんて生むんじゃなかった」という考えがアリアリと見える。自分が母親より先に死ぬほうが最大の親孝行なのだと。
私は弟が友垣を持ちたるものであるから、あまりここでは言えない。理由としては、弟の存在がPressureだからだ。弟に言われると、友垣を使って孤独な自分がいつも何かに晒されているからだ。
Twitterの使い方で、ある人が注文を受けた。Twitterにしろ、はてなハイクにしろ、どうも自分はコレで問題を起こす。
ここを電子スクラップブックにしたのは弟が見張っているから。不用意なことを言うと、「訳のわからないことを言っているんですけれども。」と言ってくる。弟の言葉は、彼が大量に引き連れる大親友の影を感じて脅されている感じだ。彼らの手前、自分の存在が恥
どうせこんなことをいうと「グジュジュグュ言う人は嫌いです。」と親に言われるのかもしれないけども。(母親にはこういう万能の盾文句が多い)未だに高校の選択科目のなかでハングルを履修するのを断られた言葉に腹を立てている。「生意気盛りだから」とか、「