自分は生活能力のない、野菜の袋詰しかできない人間だと母親に言われた。母親の言葉は、自分がダメ人間で取るに足らない人間だと思い知らされる言葉だ。
それは自分にはない。友達が大量に存在する弟にはある。家族や親戚より弟には大親友たちが、家族だからだ。だから、弟には自由であるべきだが、自分は弟に睨まれるので、何も言いたくない。あいつのいい人生には敵わない。
上野駅周辺地方の続きになるけれども、彼らが好きなものへの押売りは、自分が持っている良きにつけ悪しきにつけイメージとして持っているイメージを半減するから、反対しているんだよね。他の家の事情を考えられない老舗のボンボンにはわからないのか。
仕事の関係で、東横線の日吉から乗り換えて、目黒線の大岡山に赴いた。その時思った。「小杉も京急川崎周辺も落ち着いた空気だ。」と上野駅周辺地方の彼らが個人的に好きなものの匂いが強い。差別するわけではない。でも、それだけを守るためにそれを押売りす