最近は俺はこいつに勝ちたいと思う存在がいるからその人のために生きている。でも、そいつは「あほらし屋の鐘がなる」みたいなことをいいそうな人なのであえてそのことを言うことはないだろう。でも、手強いなぁ。
出来杉の首を上げるのは、のび太ではないだろうと推測している。出来杉を嫌われ役だと思っているのは作品世界の外の読者だからだ。
下町は「近所の田舎」を信用していないくせに上野駅を使ってやってきたものにはすごく優しい。彼らが大好きなのは好きでも嫌いでもない。嫌いというと關東では悪者にされる。
どうも苦手でいる。アメリカは豊かとか憧れと思わないほうがいい。何も見えなくなるから。アメリカの豊かさ・憧れを感じなくなったから流行ったものがあるように思う。
弟よけに始まった記事を貼る行動が習慣になり、カモフラージュだったのが、それが普通になってかつて好きだったものが、あまり好きじゃなくなった。
文型の学部が減らされているのは理系の連中のせい恐ろしい奴らが恐ろしいことをしているとか最近多い。敵対しているのはわかるけれども敵意を持っている存在=巨大ではない。
現在のドイツ連邦共和国の国歌の作曲者のヨーゼフ・ハイドンは元々オーストリアの人であった。ハイドン存命中のドイツ語圏は、ハプスブルク家中、ホーエンツォレルン家中と言った感じだったのだろう。まるで戦国や江戸の頃の、佐竹家中、伊達家中という感じだ