snsは資料を貼るためには意外と使えるということに気づく。弟が睨みを聞かせてから、上手い使い方はないかと思ってスクラップブックにした。スクール水着の繪を貼って弟に追い詰められるよりはましだ。
タイトルにある言葉は私にあるわけじゃない。弟のためにある言葉である。弟が自由闊達に振る舞えば振る舞うほど、私は慎重になる。だから、今は私は羽目を外さない。
最近、弟がfacebookでにらみ始めてから、facebookではあまり発言しない。ちょうどその時、facebookとTwitterの連動を見つけてから便利な機能を使って、mixiと一緒に使うことを発見。mixiを辞めていく人がいるみたいだけれども、私は、facebookやTwitterの方が
私がmixiに足を運ぶ前だったかな、映画や海外ドラマに関するサイトやメーリングリストに出入りしたり、在籍していたことがある。そこでは、年配のユーザーさんがいうには、洋画関係では、ベルモントやスティーブ・マックィーン、アラビアのロレンステレビシリ
ヲタク趣味よりも少女漫画よりも侮辱されて許せない趣味がある。豊かでもないものを豊かだと思いこむほど馬鹿馬鹿しい物はない。
子供に戻ったって、何も得られないと思いだして。そういう言葉がある。子供には戻れない。子供のままでも、大人にならなければいけない義務がある。