四国遠征−66/湊山城跡三津の渡船を利用して対岸に上陸。ここから目の前の小高い港山に築かれていた湊山城跡に立ち寄った。ここは三津浜港の北岸に位置する。建武年間(1334〜1338年)に「湯築城」を本拠とした河野通盛が海の守りとして築城。その
松山には全国的に面白い道路がある。ここは市内中心部より北西に直線で約8.5キロ。三津浜港の三津から港山を繋ぐ入り江に行ってみた。現在の正式名称は“松山市道高浜2号線の一部”ここで80mの海路ではあるが、市道なので無料の渡船が運行されている。
「宝物殿」の見学を終えると・・不思議な庭に案内される。石手寺には離欲・人類平等と言う「ブッダ」(仏陀)の教えがある。「ブッタの庭」で印度グランプリ作家三人による彫刻「ブッタの伝記石仏」が拝観できる。それでは色々な石像を紹介しよう。 ↑(T
「石手寺」拝観の4回目。石手寺の境内から外れて朱色のアーチ橋を渡ると・・そこは樹木に覆われた別の空間です。(TOP左画像)↑(TOP中画像)「宝物殿」の入口と出口安養寺時代からの寺宝を展示している。無人ですが拝観料200円が必要です。・TO
「石手寺」拝観の3回目。不気味だった洞窟を抜け出ると「奥の院」に到着する。↑(TOP左画像)「奥の院」(しょうじょう寺)入口から下界を見降ろす閻魔大王ここから「マントラ塔」を目指して山を登ってみよう。 ↑「マントラ塔」黄金の球形建築で永代供
「石手寺」拝観の2回目。本堂大師堂の背後にある山には「マントラ洞窟」がある。ここは金剛界と胎蔵界を表現しており、仏の流れを案内していると言う。ちなみに、「マントラ」(曼途羅)の意味を調べてみると・・仏・菩薩の誓いや教え・功徳などを秘める呪文
昨日も仕事で再び松山へ・・今回は国宝や国重文を数多く有する「石手寺」(いしてじ)へ参拝した。ここは729年(天平元年)に薬師如来を本尊として開基。熊野十二社権現を祀ったお寺です。また、四国八十八箇所霊場の第五十一番札所になる。・TOP画像「石
本書は2年前に発刊されたサンダーバード50周年を記念した公式ブックです。サンダーバードの誕生秘話からメイキング、メカ、キャラクター設定、時代背景、特撮、戦略マーケティング、関連グッズ等を掲載。また、全エピソードについては裏話も含めて解説して
「湯築城」見学の4回目。最後の見学場所は「土塁展示室」です。湯築城跡には貴重な遺構が良好に残っている。↑「外堀土塁」この土塁は外堀を掘った時に出た土を盛り上げており、「掻揚げ土塁」(かきあげどるい)と呼ぶ。これは敵の侵入を防ぐと共に外から城内
「湯築城」見学の3回目。城郭調査により平地部に建物礎石や土塀跡を発見。16世紀中頃に火災で焼失したと伝わる家臣たちの居住区です。ここに武家屋敷を復元しているので見学してみよう。 ↑(TOP左、中画像)「武家屋敷1」発掘調査により間取りを推定
今度は「湯築城資料館」を見学しよう。湯築城の搦手門(からめて門)から入った場所に建てられている。↑(TOP左画像)「湯築城資料館」発掘調査の概要や河野氏の歴史、武士の生活を解説し、出土品を展示。また、映像モニターで発掘、復元整備状況を紹介し
宝島社から発刊されたDVD BOOK『伊400型の真実』が気になったので購入しました。映像はハワイ・オアフ島沖で海中処分された「伊400潜」の発見から始まる。続いて、「伊400潜」や「晴嵐」の開発から作戦計画を解説。最後は終戦後の接収模様を
仕事で松山(愛媛県)の物件が契約出来たので、先日から月末にかけて何度か松山へ出向く事になった。そこで、先日は仕事の用件を終えて「湯築城跡」へ行ってみた。ここは道後温泉のすぐ近くなので・・いつかは行ってみようと考えていた場所です。しかし、道後
イオンモール岡山で開催中の「海洋堂EXPO」はいよいよ本日20日で終了。イベント関係者から余った招待券をもらったので再訪した。そこで今回の日記では恐竜と怪獣のジオラマを紹介しよう。↑ゴジラ19891/80(全高約1m)↑「三原山よりG出現」
「今治城」見学の最終回。ここ「今治城」の本丸に「吹揚神社」が鎮座している。↑(左画像)「吹揚神社」(ふきあげじんじゃ)廃城後に城下町の4つの神社を合祀鎮座させて「本丸」で明治5年(1872年)に創建。その後、昭和20年(1945)年の空襲で全焼。昭和3
「今治城」見学の第5回目。復元された隅櫓は「武具櫓」と「山里櫓」だけではない。残るもう一つの櫓を紹介しよう。・左画像「御金櫓」(おかねやぐら)「二の丸」の東隅櫓になる。昭和60年(1985年)に再建され、外観は今治藩医の半井梧庵が残した写真をも
せっかくの金属モデルなので塗装してしまうのは・・やはり残念な気がする。実はこのキットの定価は税別9400円。ただし、中古ショップなので半額の4800円で購入。しかし、半年前にプラ製品が再販された。しかも砲兵が付いて定価は3300円。高価な買
「今治城」見学の4回目。次に城郭西側を見てみよう。↑「山里門」の高麗門「三の丸」へ入る西の入口になる。実はこの日は大手口ではなく、ここから城内に行った。↑ここから天守が見えるが、本来は「本丸」の北隅櫓が存在していた場所。 ↑「山里門」高麗門
今年のAFVサブテーマは「大砲」です。そう言えば在庫が何かあるぞ・・急に作りたくなった。しかし、これからが中々大変なのだ。どこに保管したのか?・・屋根裏倉庫の中はキットの在庫が満杯。手前のキットの山をイチイチ下へ降りて取り出さないと奥へ入れ
「今治城」見学の3回目。藤堂高虎の築城技術は櫓の配置を見るとその真価がよく分かります。天守から見下ろした城郭風景と併せて復元された各所の櫓を紹介しよう。↑「今治城案内看板」城は海岸の砂の上に築かれ、海水を引いた広大な水掘で防御している。また
78号から80号のボディ組立により・・いよいよ最終段階です。↑ボディ全体のギミック状態↑78号の全バーツ2号の主翼と「ジェットクレーン車」シャシー↑79号の全バーツ2号のボディアッパーと「ジェットクレーン車」ボディ↑フロントボディにアッパー
「今治城」の天守を調べてみよう。今までの望楼型と異なり、日本初の層塔型天守と呼ばれる五重天守が築かれていた言う。しかし、完成まもなく丹波亀山城へ移築されてしまい、その後は天守再建する事なく明治を迎えている。ところで、築城当時、本当に天守があ
昨日は愛媛の土産を届けに長女の自宅へ・・半年経った孫に会ってきました。もう首は座り、しっかりしてます。腕も足もブリブリ・・元気な女の子です。
松山の展示会見学する前に「今治城」を見学した。今回はいつもの瀬戸大橋を通らず、尾道から連なる“しまなみ海道”を渡り今治市へ・・朝9時過ぎに到着。内堀の外周から「今治城」の城郭を眺める事が出来る。まずはその風景をご覧頂こう。↑(TOP左画像)
同会では今年は意外に多くの方が艦船や船舶模型を出品していました。それでは主な作品を一度に紹介しよう。↑(TOP左画像)護衛艦「ひえい」1/200 ニチモ使用スクラッチ「たかつき」「なつぐも」「みねぐも」から必要パーツを利用して製作。↑護衛艦
同会は“エアモデラーズクラブ”と言ってもオールジャンルのクラブです。飛行機の作品紹介は同行のTSAMさんにお任せして、ここでは艦船を紹介しよう。しかし、ただ単に作品を掲載するだけの日記では面白くない。まず今回は製作途中ではあるが、KANさん
昨日は愛媛へ向けて出発。台風の影響を心配したが、超スロースピードで南コースに変化したので行きも帰りも問題無しでした。さて、松山エアモデラーズクラブさんの主な作品を紹介しよう。個人的に一番目に留まった作品がコレ!ゴジティさんのシン・ゴジラです
岡山県立美術館で開催中の特別展『傑作 浮世絵揃い踏み』を見学した。本展では我が国を代表する平木コレクションの中から選りすぐりの200点を出品。歌川広重の代表作「東海道五十三次」初刷全点を始め、葛飾北斎の「富岳三十六景」、菱川広重の「名所江戸
配本78号と79号で救助メカの「ジェットクレーン車」が完成する。今回で付属メカは23輌目になる。・左画像78号で車体のシャシーを組立。タイヤ12個を3軸のシャフトで繋ぎ、バンパーを取り付ける。さらに79号ではボディのキャビンやクレーンアーム
与那国島や多良間島、尖閣諸島に中国軍が突如上陸し、島を占領。日本の政治家たちは外交手段による平和的な解決を模索する。しかし、その間に中国軍は島に対空、対艦ミサイルを配備し、平地にヘリポート、山頂にレーダー基地を建設。中国は着々と島の占領を既